虹のかなたに

たぶんぼやきがほとんどですm(__)m

第101回 新・北国の春

 新卒入社以来、20年余に亙って勤めてきた会社を辞めた。毎日毎日、ゾンビのように屹立してくる仕事に立ち向かい、自らを省みる心的余裕もあまりなかったが、どこかに「このままでよいのか」という、漠然とした閉塞感も覚えていた。第99回でも綴った、1年前の義父の死をきっかけに、もう少し家庭を顧みたいとも思うようになったし、手に職をつけてキャリアアップを図りたいとも考えた。
 
 そういう訳で、退職を機に、というのも皮肉ではあるが、社会人になって初めて、有給休暇というものを行使し、所定の公休もつないで1か月まるまる休んだ。それまで残業や休日出勤の日々であったから、この落差はあまりに大きく、定年退職した人はきっとこういう心境で毎日を過ごしているのだろうと、仄かな理解を示している。ただ、如何に満身創痍の体を休めたいとは申せ、家に引き籠もってばかりいたのでは老化が一気に進んでしまうのではと不安にもなる。幸い、在職中のご縁で、社内外のいろんな方から連日お声掛けをいただき、酒席を設けてくださったので、自宅で塞ぎ込むことはなかったし、セカンドキャリアに向けて、さまざまなアドバイスもいただくことができて、充実した1か月を過ごすことができた。
 
 個人的には、まとまった休みをとって旅行することもこれまではなかなか叶わなかったので、「卒業旅行」と称する一人旅を企画した。「家庭を顧みたい」と言いながら家人を置いて旅に出るとは何事ぞ、とお叱りを受けそうだが、彼女は何日も仕事を休む訳にもゆかず、「一人でのんびり行ってきたらええやん」とのお言葉を得て、単身、旅立つことにした。
 
 JRは、片道101km以上で、経路が一筆書きになっておれば、1枚の通しの切符を買うことができ、何度途中下車しても構わない。当然、下車駅で一々買い直すよりもはるかに安いから、時刻表を買ってきて、巻頭の地図をにらめっこしながら行程を考えた。1日目は、大阪から「サンダーバード」で金沢まで行き、北陸新幹線に乗り換えて長野へ。2日目は、高崎経由で新潟まで新幹線を乗り継ぎ、そこから羽越本線の特急「いなほ」で秋田へ。3日目は、死ぬまでに一度は乗りたかった「リゾートしらかみ」で五能線の車窓を堪能し、新青森から北海道新幹線を経て、新函館北斗へ。4日目は、「スーパー北斗」で南千歳まで行き、新千歳空港から飛行機で帰る、という3泊4日の行程である。第13回で記した6年前の旅は、夜行の急行「きたぐに」と、特急「いなほ」を乗り継いで秋田まで行ったが、酷い荒天のため途中で降ろされ、代行バスで向かったので、そのリベンジも兼ねている。

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 ただ乗り物に乗っているだけの旅行と思われるかもしれないが、「旅の醍醐味は非日常に飛び出すこと」だと思うので、知らぬ土地の風景を眺める移動そのものも、旅の愉しみなのである。北へと向かう今回の旅は、車窓左手に広がる日本海が各所で望め、しかも、それぞれの場所や通過時刻が異なるから、海の表情もまた違う。北陸新幹線から見えた糸魚川の海は、意外と静かで穏やかで、昨年末の大火に傷ついた街を優しく見守っているかのよう。羽越本線の車窓に映ったのは、6年前とは違って、陽が傾き始めた桑川付近、太陽の沈みゆく吹浦付近、日没後の薄暮の山形・秋田県境付近と、北へ進むにつれて空と海の色が刻々と変化する、静謐な日本海であった。3日目の五能線は、雲一つない空、どこまでも広がる濃紺の海、ごつごつした岩のコントラストは、「風光明媚」なんて陳腐な言葉では表現し尽くせぬ美景。大いに目の保養と心の洗濯とになった。
 
 車窓の愉しみは海だけではない。北陸新幹線からの立山連峰北アルプス上越新幹線からの上越国境。「いなほ」からの出羽三山鳥海山等々、雪残る早春の山の美しい姿が拝めたのも、北への旅ならでは。中でも胸を熱くしたのは、「リゾートしらかみ」から望めた岩木山。「津軽富士」とも称される青森の名峰であるが、これを眺めていると急に抒情的な気持ちに駆られ、五所川原を過ぎて、雪に覆われた真っ白なりんご畑の向こうの真正面に聳える姿を認めたときには、どうした訳かこみ上げるものがあり、落涙してしまった。1986年の大河ドラマ『いのち』で、坂田晃一の手による美しいテーマ曲の調べに乗せて、この岩木山がシンボリックに映し出されるオープニングが印象深く、りんご農家に嫁いだ主人公の女医が、さまざまな試練や確執を重ねるドラマの内容とオーバーラップしてしまったのかもしれないが、それでも早春の雪景色は、優しさを感じさせるものであった。
 
 「食」もまた、旅の愉しみである。ヘタレの一人旅なので、店に入って手酌する勇気はないのだが、各地の駅弁をアテに、新幹線の車内やホテルの部屋で呑むのもまた一興。金沢の「輪島朝市弁当」、高崎の「だるま弁当」、秋田の「あきたこまち弁当」、函館の「鰊みがき弁当」に舌鼓を打った。また、長野では、出張中の幼馴染みとの邂逅が偶然に叶い、戸隠そばをはじめとする郷土料理に、信州の地酒を楽しめる居酒屋で盃を交わせたのもラッキーだった。我々の座ったカウンター席の横で、やはり一人旅と思しきうら若き女性が、静かに地酒を啜っていて、自分が20年若かったら声を掛けたのに……などと思いながら、四十路半ばのおっさんはとぼとぼホテルへ帰ったのであった。そういえば3日目の夜は函館山に登ったのであるが、ちょっと人気の少ないところに行くと若き男女がチューとかしているのであって、「お前らこんなとこでちちくり合うてんと、ちゃんと夜景を鑑賞せえよ」と注意しようと思ったが、後の虚無感が怖いので止めた。おっさんの一人旅も、シーンによっては何だか切ないね。
 
 さて、3日目、函館山からホテルに戻り、「鰊みがき弁当」をつまみながらチューハイを呑んでいると、地元のケーブルテレビで、市内の中学校の卒業式のノーカット放送という凄い番組をやっていた。卒業証書授与もノーカットであるから、卒業生全員の氏名と顔はばっちり流れるし、故あって出席していない子は、名前だけ呼ばれてスキップされるのも生々しく流れる。物凄いことよと思いつつ、いつしか食い入るように見てしまった。そして、自分はかつて、学校の先生になりたかったのだということを思い出して、またしても涙が出てきた。
 
 最後の4日目、「スーパー北斗」の車窓から噴火湾を眺めつつ、前夜のテレビを反芻しながら、自分の来し方と行く末に思いを馳せた。前職で、新卒の採用や研修に携わる仕事をしていたとき、同僚から「激務やのに、いつも人の心配をしてるね」と言われたことがある。思えばこれが最高の賛辞だった。「学校の先生」は叶わなくても、やっぱり、人の成長や人生を応援する仕事をしたいなぁと思う。そのために身につけなければならないスキルもある。北へ向かう一人旅はこれで終わりだが、自分探しの旅はこれからである。