虹のかなたに

たぶんぼやきがほとんどですm(__)m

第100回 百物語

 2008年の正月に始めた拙ブログも、途中、3年ほど放置したこともあったが、漸く100回を迎えることができた。私が拙文を認(したた)めるに際して範とした方のブログがあるのだが、この方は1997年に開始され、2005年に368回を以て擱筆された。そこまで続けられるかどうかは分からないけれども、まずは「100回」を目標としてみた。週に1本というペースを確立し、そのペースで行けば、2014年の秋くらいに100回に到達できるという算段だったが、これで生計を立てている訳でなし、誰かから次回を心待ちにするファンレターが届く訳でなし、徒然の慰みに書き散らしているだけの駄文であるから、これだけの歳月を要してしまうのは宜なる話である。それでもご愛読いただいている奇特な方々の存在こそが、筆を執ることを続けられるエネルギーなのであり、心から感謝を申し上げる次第である。
 
 それにしても、登山に喩えるならば、頂上が果てしない彼方にあるときは、いつ心が折れるとも知れないのに、そこに手が届きそうなほどに距離を縮めてくれば、何とか奮起できるものであるが、「100」というのは、そうした山の頂のようなものであり、やはりそれだけの節目なのである。換言すれば、「現実的に何とか手の届きそうな、我々にとっての最大の数字」が、「100」なのかもしれない。実際には千円札や一万円札を日常生活では扱うのだが、例えば、その値段を1円玉に両替した物理的な量が想像できるかと言えば、そうではあるまい。人類にとって「唯一の永遠」である時間の世界でも、100年を1世紀とする単位はあれども、それ以上は存在しないが、これも、人間が生き永らえられる限界が、およそ100年ということなのだろうし、実際、そうである。
 
 そう言えば小学校のとき、『全国こども電話相談室』というラジオ番組があり、ここに「無量大数という数の単位が最も大きいらしいが、それより大きな数字はどうやって表すのか」という質問を寄せたことがある。ただし、夜も眠れぬほど真剣にそのことを思い悩んだ訳ではなく、「電話のお姉さん」の二階堂杏子と話がしたい、そしてOAで自分の声が流れるかもしれないというミーハーな理由で掛けただけの電話であった。電話こそつながったものの、放送されない別のお姉さん(というより声質は明らかにお母さん)が電話を取り、回答者も永六輔無着成恭といった錚々たる人ではなく、恐らく「くだらない質問」の担当として控えている人が如何にも無機的に答えただけであった。尤も、もともとは級友との戯れをきっかけに掛けてみた電話だったし、その日にやっていたプレゼント企画には当選し、番組の最後で私の名前がお姉さんに読み上げられ、後日、お姉さんの直筆メッセージが添えられた番組特製のトレーナーが届いたから、本懐を遂げた点で十分なのだが、件(くだん)の質問に対する回答は、「実際の生活でそこまで大きな数を扱うことはないから、そんなことは考えなくてよろしい」という、何とも腑に落ちぬ内容であった。千や万という数字は、我々人間が考えるべきでない数量なのでは、とさえ思われる。
 
 歌謡曲に目を向けたとき、これもまた、100を超える大きな数字を扱うものがなかなか想起できない。私の知る限りで最大の数量を扱ったものは、THE ALFEEの『100億のLove Story』と、田原俊彦の『100億年の恋人』くらいであるが、前者は、歌詞を見ても「100億」である必然性がどこにも見出せないし、後者では「100億年の恋人 ずっと君を探してた 100億年の恋人 もう 君を離さない」などと歌っているが、探すのに100億年、交際に100億年、都合200億年もかけて何をするというのだろうか。軽々しく破格の数量を口にしてはいけないと思うのだ。その点、幼き日から愛唱してきた歌の数々を回顧すれば、「数字の1はなあに 工場の煙突」と、折り目正しく「1」から始め、天辺は「一年生になったら 友だち100人できるかな」までである。やはり100が最大なのだ。
 
 さて、自身が子どもの時に好きだった芸能人は、何といっても山口百恵である。毎日、幼稚園から帰った後、京阪電車牧野駅に赴き、「今日こそは百恵ちゃんが来てくれる」と待ち焦がれては、日の沈む頃に母親が怒りながら迎えに来て、肩を落としつつ家路に着いたものである。年端もゆかぬ私は、「大きくなったら百恵ちゃんと結婚するねん」と日々公言していたのだが、小学校への進学直前、物の分別がつくようになった年齢であっても、愛しの百恵ちゃんが三浦友和に奪われるショックは計り知れなかった。それほどまでに百恵に心酔していた私には、到底納得できぬことが一つあった。幼稚園に「千恵」という名の子がいたのであるが、「百恵ちゃんが100に甘んじているのに、こいつが1000を名乗るとは何事ぞ」というものである。甚だしい言いがかりであり、名字すらも忘れたその千恵ちゃんとの邂逅が叶うなら是非とも謝罪したいのだが、自分の中でその溜飲を下げることができたのは、高校で漢文を学び、「百も千も『途轍もなく大きな数』の意であって、具体的な数量は問題でない」ということを知ったときである。なれば「百恵」は“最大級の恵”ということで問題はなく、私の中で「百恵伝説」は穢されることなく今も生き続けている。
 
 だらだらと「100」にまつわるあれこれを書き散らしたが、拙ブログも次の「100回」を目指して、牛の歩みかもしれないが、ぼちぼちと続けてゆきたい。