虹のかなたに

たぶんぼやきがほとんどですm(__)m

第91回 事件は現場で起きている

 秋風の心地よさを感じるようになった今日この頃に、夏休みのことを未だにねちねち言うのはどうかと思うが、緊縮財政下、今年も夏の逃避行が叶わなかったのは痛恨の極みである。9月以降の三連休は全て三連勤、今日など台風と闘いながらそれでもやはり「三連休は三連勤」なものだから、方々へ旅行に行ったという人様の話を聞けば、恨み節の一つや二つも言いたくなるというものである。自宅で地図を広げては“妄想旅行”に出掛けるのが、せめてもの慰みだ。
 
 基本的に海外には興味がほぼ皆無で、それよりは死ぬまでに国内の全都道府県を制覇したいと願っている。未踏の地は、青森、大分、宮崎、鹿児島の4県を残すのみ。これらの踏破も急ぎたいところであるが、一度行ったけれども再び訪れたいと思う地がある。中でも、長野県の松本から新潟県糸魚川を結ぶ「大糸線」の旅は、何度行っても飽きることがない。梓川に架かる橋に因む梓橋駅のホームには「是より北 安曇野」の看板があり、田園の向こうに聳える北アルプスの峰々を望めば、一気に旅情が高まる。信濃大町から白馬にかけては、鬱蒼とした森や、仁科三湖と呼ばれる湖の縁を走り、南小谷気動車に乗り換えると、姫川沿いの険しい渓谷を驚くほどの低速でくねくねと進んでゆく。景色を眺めているだけでも十分旅行の愉しみを実感できる私にとって、この大糸線の車窓ほど、我が心を虜にするものはない。
 
 かてて加えて、大糸線が旅情を掻き立てる要素には、何とも抒情的な駅名が多いことも挙げられよう。先述した梓橋に始まり、豊科、有明安曇追分安曇沓掛信濃常盤海ノ口簗場、神城、信濃森上、千国、南小谷、北小谷、小滝、頸城大野、姫川、そして糸魚川。こうして書き連ねてみるだけで、えも言われぬ郷愁に駆られる。しかも、「あずさ、あずみ、くつかけ、ときわ、ちくに、おたり、くびき」とは、何と美しい響きであろうか。その響きの美しさは、きっと訓読み、つまり大和言葉であることから染み出てくるものに相違ない。響きの柔らかさ(例えば訓読みの一音目に濁音や半濁音が来るものは殆どない)もあるし、「追分」や「沓掛」など、その言葉の意味から古(いにしえ)の旅人たちの姿が想起される物語性もある。蓋しこれは、旅の抒情性に関わる、極めて重要なファクターであるのだ。追分を「ツイブン」、沓掛を「トウケイ」などと読んだのではそうはゆかない。
 
 翻って、5月に引っ越してきたここ大阪市港区。田中とか石田とか、吃驚するほど普通の地名(かつてこの辺の新田開発を行った人の姓に因むものらしいから「吃驚するほど普通」などと言っては失礼なのだが)もあって笑ってしまうけれども、波除(なみよけ)、夕凪(ゆうなぎ)、磯路(いそじ)、三先(みさき)と、文字にしただけで潮の香りが漂ってくるような抒情的な地名が、ここにもある(尤も、「岬」のことだと思っていた「三先」は、調べてみたらそうではないらしい。詳しくはここを参照)。
 
 しかるに、大阪維新の会が8月に発表した、都構想における大阪市の区割り案を見て、私は思わず嘆息を漏らしてしまった。現在24ある行政区が5つの特別区にまとめられ、その区名が「中央区、北区、東区、南区」、そして我が港区を含む地域は「湾岸区」になるのだという。大阪維新の会のあくまで“構想”であるから、狼狽えることもないのだが、あたかも決まり事のように報じられたものだから、心に波が立ってしまうのである。
 
 細分化された区をまとめるのは必ずしも悪いこととは思わないが、機械的なまとめ方も如何なものかと思う。例えば「湾岸区」は、西淀川、此花、港、大正、住之江と、単に海沿いというだけで地理的つながりのない地域が一括りにされる。この「湾岸」は、南北に連なる位置関係であるから、ダイレクトな行き来は阪神高速道路によるものしか手段がないのである。ましてや車を持たない者が、西淀川の中心である歌島橋から、「湾岸区役所」が置かれるという南港のトレードセンターまで行こうと思えば、御幣島からJR東西線海老江まで出て、野田阪神から地下鉄千日前線に乗って阿波座へ行き、中央線でコスモスクエア、更にニュートラムと、3回も乗り換えを強いられる。検索ソフトで調べたら40分以上もかかるのだ。大体、阿波座は「湾岸区」ではないから、区内の移動なのに一度区外へ出ねばならぬというのも不条理である。
 
 それ以上に、地名の持つアイデンティティを大切に思う者にとっては、東西南北や中央は、ただの位置関係を表す記号に過ぎず、どうも無機質に感ぜられてならない。最近、雨後の筍の如くに誕生している、周辺の市町村を合併して強引に成立した地方の政令指定都市でも、「特定の地域を区名に採用しない」という方針の下、同様の決定がなされるところが多いが、全く以ていただけない。その点、仙台市は、同様の条件に加えて「東西南北と中央も採用しない」という方針で区名の公募がなされ、「青葉区宮城野区若林区太白区泉区(これだけは旧泉市の合併によるものなので命名の経緯が違うのだが)」という名前になったそうだ。大阪市も、どうしても5つにまとめたいなら、せめてこういう風情のある名前にできぬものだろうか。例えば「北区」は、昔の朝日放送ラジオを聴いていた人なら誰でも知っておられる「大淀区」の名を復活させるなんてどうだろう。
 
 さすれば、「湾岸区」は無機的でないからよいではないかと言われるかもしれない。確かに、当初は、他の区と同様に「西区」の名称とする予定だったらしいから、それに較べればましとも言えるが、「『湾岸区』と名付け、舞洲にカジノを誘致し、『東洋のベネチア』とすることを目玉とする」という発想が感心しない。「湾岸」の名前で「東洋のベネチア」たり得る訳でもあるまいし、バブルの余韻のような安直な名前が、地域に固有の地名の美しさを相殺してしまってはならぬと思うのだ。
 
 よく考えれば、現在の大阪市の区名は、方角は北、西、中央(かつてあった南区と東区は中央区に括られた)の3つ。天王寺、大正、城東だけが音読みで、後は都島、福島、此花、港、浪速、西淀川、東淀川、東成、生野、旭、阿倍野、住吉、東住吉、西成、淀川、鶴見、住之江、平野と、軒並み大和言葉の地名なのだ。「此花」が、古今和歌集仮名序に引かれている王仁の歌「難波津に咲くやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花」に由来するのは広く知られているところであるし、「住之江」も、百人一首にも取り上げられている「住の江の岸による波よるさへや夢の通ひ路人めよくらむ」という藤原敏行の歌で知られる歌枕である。こういう由緒ある地名が、「湾岸」などという漢語表現に取って代わられるのは、やっぱり承服できない。
 
 かつての名作ドラマ『踊る大捜査線』は、奇しくも「湾岸」という名の警察署が舞台だったが、そこでの織田裕二演じる青島俊作は「事件は会議室で起きてるんじゃない。現場で起きてるんだ!」という名台詞を残した。ここでも、もう少し現場の考え、つまり民意を汲んだ都構想であってほしいと、地元を愛する一市民は思う。