虹のかなたに

たぶんぼやきがほとんどですm(__)m

第99回 決意を翻して決意する

 2016年1月1日午前0時、タバコをやめた。「強い決意を持って、禁煙など断じてしない」と公言していたにも拘らず、である。「やめた」とかな書きにしたのは、「止めた」で表記は合っているのだろうが、心情的には「辞めた」という気もするからである。禁煙と言うより「卒煙」と記した方がしっくりくる。それにしても、およそ四半世紀に亙って続けてきた生活習慣を、急に変えることができるのか。1月の中旬には大きな仕事を抱えていたので、せめてそれが終わってからではダメか――などと家人に泣きついてみたが、「あかん」と一蹴されて終わった。そう、この「卒煙」は、家人の強い命令の下に遂行されたものなのである。
 
 もともと家人は嫌煙者であり、自宅における喫煙場所は須らく指定されていた。そして、実家の義父も喫煙者であったが、同様にリビング内での喫煙は禁じられていた。「禁煙ファシスト」のレベルでの過激派ではないものの、それでも「タバコと酒に溺れる人間を、私は心から軽蔑する」と言って憚らなかったから、今回遂に発布された禁煙令には抗うべくもなかったのだが、背景にはもう少し深いものがあったのだ。
 
 家人と付き合い始め、向こうの両親に紹介してもらったのは既に10年も前の話である。仕事中に届いた「今日、親に会ってもらえる?」という召喚メールに応じて、ある日突然出頭することになった。家人は厳格に育てられた一人娘であるから、世間一般とはかけ離れた特殊な生業に身を置く私を許さないとでも言われるのだろうか。しかし取り敢えず、今日は仕事でスーツを着ていたから、格好だけなら何とかなるだろう。けれども手土産など買っていく時間的余裕はないが手ぶらは具合が悪かろうしどうしたものか……などと逡巡しながら、会社を出た。
 
 緊張に手を震わせながら駅に降り立つと、改札口の向こうに3人が立っていた。予想通りの強面の父親……なのだが、如何にもラフなフリース姿、しかも右手にはなぜかスポーツ新聞が握られている。別の意味で、ちょっと怖くなった。近くの居酒屋に入り、身を硬くして通り一遍の挨拶を終えると、「まあ、彼女の親に会うちゅうのは緊張するもんやわな、俺もそうやったわ。そやけどそう硬くならんと、上着脱ぎいな」と声を掛けてくれた。言われるがままに脱ぐと、Yシャツの胸ポケットを見て、「ん? 何や、タバコ吸うんか? 落ち着くやろから遠慮せんと吸いいな。俺も吸うわ。ほれ」と、ライターの火を向けてくれた。「酒は飲むの?」「飲みます」「何を飲むん?」「何でも飲みますが、日本酒が一番好きです」「ほっほーん。いや俺もな、仕事柄地方への出張が多くてな、そこで手に入れた地酒を集めて、家の一室を貯蔵庫にして並べてるねん」と、そんなやり取りが続き、「酒飲みの喫煙者」というだけで気に入ってもらえた。
 
 以後、結婚するまでも、してからも、女2人に「酔っ払いがタバコ蒸しながら管を巻いて、ホンマにウザいわ」と罵られつつ、ちょくちょく飲みに連れて行ってもらったり、時には「家の一室を貯蔵庫にして並べてる」地酒コレクションからセレクトされた一品を我が家に持ってきてもらったりもして、「酒とタバコ」を通じた誼は続いた。あるとき、酒を酌み交わしながら、「こんな煩い女どもは放っといて、あんたのお父さんも一緒に、男3人で旅行に行こうや」と義父が言い出した。「いいですねぇ。どこに行きたいですか?」と問うたら、「左に沢と書く地名があんねんけど、読まれへんやろ?」と、質問で返された。しかし地図マニアの私が知らぬ訳はなく、「ああ、山形の『あてらざわ』ですね」と答えたら、いたく感動して、「絶対行こう、こいつらなんか放っといて、行こう」と、酩酊状態でありながら嬉しそうに語った。
 
 ところが昨秋、義父は病に倒れた。胃癌であった。胃を全摘出する手術を受けることになったが、「決して見舞いになど来ないように」ときつく言われた。義母によれば、「無様な姿を、どうしても見られたくない」ということらしい。病院に駆け付けた家人は、帰宅してくるや、「タバコをやめて」と言った。「お父さんがああなったのは、ヘビースモーカーやったからや。お願いやから、タバコをやめて。年末まで待つから」と訴えてきた。痛切な訴えに折れる形で、年末での禁煙、いや、卒煙を決意することになった。その後、「頑張って治すから、完治したら、左沢へ行こう」との義父のメッセージが、メールで届いた。
 
 それから暫く経ったある日、たまたま点けていたテレビで、『六角精児の呑み鉄本線・日本旅』という番組をやっていた。奥羽本線赤湯駅を起点に、長井市を経て、西置賜郡白鷹町荒砥駅までを結ぶ、山形鉄道フラワー長井線を“呑み鉄”する旅だったのだが、長閑な車窓、降り立つ街の風景、地元の居酒屋で酒と料理に舌鼓を打つ姿……私の旅情をここまで掻き立ててくれる旅番組に邂逅したことがなく、永劫に続けてほしいシリーズである。そして、六角精児が旅をした「長井線」は、義父が行きたがっている「左沢線」とは違う路線であるけれども、奥羽本線から分かれるローカル線を“呑み鉄”する旅への思いは募るばかりであった。
 
 そして家人との約束通り、年が改まるのを機として、タバコをぴたっとやめた。禁煙外来に通い、薬に頼らないとやめられないと思ったのだが、仕事が立て込むと多少、吸いたくなるときはあるものの、やってみれば何てことのないものである。「1月中旬の大きな仕事」も、タバコに逃げることなく、乗り切ることができた。
 
 そして、その「大きな仕事」が落ち着いた翌日の朝、義父は58歳の若さで逝った。結局、手術の報せを聞いてから、一度も顔を合わせることがないままになってしまった。棺の中の顔はとても安らかで、義母によれば、全く苦しむことなく臨終を迎えたそうだが、癌は、ステージⅣまで進行していたことをこのとき初めて知った。家人が横から、「この人、タバコやめてんで」と言ったら、義母は「お父さん、死ぬ直前まで、隠れてタバコ吸ってたわ。タバコはあかんよ……」と力なく言った。決して禁煙しないことを決意していた私は、二度とタバコを口にしないことを、棺の前で誓った。
 
 葬儀が終わり、義母を実家まで車で送っていった。「もう、飲む人おれへんから、持って帰って」と義母から渡されたのは、秋田の地酒「まんさくの花」だった。生前、義父が「2015年一押しの地酒」と激賞し、取り寄せたものらしい。義父のことに、そして一緒に行けなかった東北の地に思いを馳せつつ、しみじみと啜りながら、故人の供養とした。タバコも吸わないで、ただひたすらに啜った。