虹のかなたに

たぶんぼやきがほとんどですm(__)m

第68回 人の話は最後まで聞く

 神戸新聞Facebookページに「てっぱん」というシリーズがある。鉄道ファンの社会部記者が、関西の鉄道にまつわるあれこれを綴るものだが、これがなかなかに面白い。
 
 その中に、「車内放送・余話」という記事があった。東京から神戸に転勤してきた記者の知人から、「関西の電車の車内放送が分かりづらくて戸惑った」と言われたというのである。何でも、阪神特急に乗っていて、御影を発車したときに「次は、魚崎、魚崎です。魚崎の次は芦屋に止まります」とアナウンスが流れるのだが、知人は「次は芦屋に止まります」という部分だけが耳に入り、芦屋で下車するつもりが、つい魚崎で降りてしまったらしい。四半世紀以上関西に暮らしている私からすれば、JRだろうが阪急だろうが京阪だろうが近鉄だろうが南海だろうが、皆同じようなアナウンスであるから、これの一体何が「分かりづらい」のかが分かりづらい。
 
 この記事に対するコメントは正に賛否両論で、その賛否はそのまま東西対決の様相を呈しており、「東」の側からのご意見は、「『いらち』の関西人の気質がこういう分かりにくい車内放送を生んでいる」だとか、「関西人は『喋り』だから、次の次の停車駅まで説明するという余計なことをする」だとか、「『俺たち知ってるから、困らない!』って態度が大嫌い」だとか、本題はどこへやら、関西人に対する私怨(?)にまで及ぶものまであって、大いに辟易した。ならば関東では一体どんなアナウンスをするのだろうと思い、たまたま先日、東京出張があったので注意して聞いていたのだが、「代々木上原の次は、下北沢に止まります」と、同じ調子で言っているではないか。
 
 ただ確かに、関西の車内放送は少し喋り過ぎなのかもしれないとは思う。例えば、大阪市営地下鉄では、次駅案内や乗換案内に加え、「約1000メートルの散歩道、船場センタービルへお越しの方は、次でお降りください」というバスのような放送も流れるし、駆け込み乗車は止めろだの、お年寄りには席を譲れだの、携帯電話の使用は遠慮せよだの、危険物には触るなだの、PiTaPaをせいぜい利用せよだの、選挙には必ず投票に行けだの、大阪マラソンをよろしくだの、最後の方では、地下鉄には何の関係もない啓蒙までなされる始末である。また、我々は当たり前に思っている、発車後の「次は、京橋」と、到着前の「まもなく、京橋」の2回放送も、関東では一般的ではなくて、どちらか一方しか言わない。以前、阪急電車がこれを真似して、各駅停車の電車で1回放送というのをやったことがあるが、程なく元の2回放送に戻っている。何にせよ、乗客の立場に立つと、どれがベストなのかを考えるべきであろうことは言わずもがなである。
 
 然らば即ち、電車の車内放送に限らず、こういう公共性の高いものは、全国で統一規格を作れば、かかる見苦しい東西対決など起こらないのに……と思うのだが、実際には関西の中でも会社によってフォーマットはまちまちである。例えば、JR大阪駅環状線ホームでは、快速電車の到着時に流れるアナウンスが、内回りと外回りで異なっていたことがある。内回りでは、「西九条、弁天町、新今宮天王寺……に止まります」と、止まる駅をアナウンスするのに対して、外回りでは、「天満、桜ノ宮には止まりません」と、止まらない駅をアナウンスするのである。今は、外回りは大阪から先は各駅停車になったのでこういう混乱もなくなったが、知らない者がアナウンスを最後まで聞かずに乗り込んでしまって、えらい目に遭ったという苦情が絶えなかったらしい。
 
 かく申す私も、近鉄電車の鶴橋駅で、同じような経験をしたことがある。布施に行く用があって、JRからの乗り換え階段から近鉄のホームに降り立ったら、ちょうど電車が来ていた。「この電車は布施に……」というのを聞いて反射的に乗ってしまったのだが、布施が近づいても速度は一向に落ちない。「?」と思ったときには布施は通過していて、八尾も国分もスルーし、ついには山中のトンネルを越えて奈良県に入ったがなおスピードは落ちず、結局やっと止まってくれたのは、鶴橋から30分近く経った、大和高田であった(当時は五位堂も通過していた)。そう、この電車は快速急行で、鶴橋を出ると、大阪府内は一切無視なのである。3分で着くところが、半泣きで引き返して1時間以上かかってしまうという悲劇に見舞われたのであるが、きっと鶴橋駅でのアナウンスは、「この電車は布施には止まりませんのでご注意ください」であったのだろう。布施は、急行や準急は止まるから一層紛らわしいのであるが、こうした問題の根本にあるのは、「述語が文末に来る」という、日本語の特殊性にあるのではないかと考える。
 
 英語にしても中国語にしても、述語に当たる「動詞」は、基本的には主語の直後に来て、修飾語はその後にだらだらと付け足す形である。なので、彼の国では「人の話は最後まで聞きなさい」と叱られることはあまりないのではないかと思う。最後まで聞かなくても、必要最低限の情報は理解できるからである。ところが日本語の場合は最後まできちんと聞かないと、肝心な情報が分からない。話が下手な人というのは、主語と述語の間の修飾語がやたら長く、しかもそれが右往左往して筋道が立っていないという場合が多いように思うのだが、「分かりやすさ」と旨とする車内放送では、主語と述語に当たる内容を先に言ってしまうというのも一法である。
 
 新幹線のアナウンスが好例と言えよう。「今日も、新幹線をご利用いただきまして、ありがとうございます。この電車は、のぞみ号、東京行きです。途中の停車駅は、京都、名古屋、新横浜、品川です」と、「途中の停車駅」を先に、つまり、「今から止まる駅を言いますよ」と先に言ってしまうのだが、英語に直せば「We will be stopping at~.」であり、この語順と一致するのである。これが近鉄電車の宇治山田行き急行だと、「この電車は途中、鶴橋、布施、河内国分、五位堂、大和高田、大和八木、桜井、榛原、室生口大野、三本松、赤目口、名張桔梗が丘、美旗、伊賀神戸、青山町、伊賀上津、西青山、東青山、榊原温泉口、伊勢中川、松阪、伊勢市に止まります」と言うのであり、これだけ停車駅を並べられれば、最後まで聞き耳を立てようという意欲も失せるのは当然である。「人の話は最後まで聞け」と言うのは易いが、客商売たるもの、そんな殿様商売的なスタンスが罷り通る訳もあるまい。
 
 ビジネスの場のプレゼンでも、「本日お話ししたいポイントは3つございます」などと、話の要点を先に言ってしまうという手法がよく採られるが、再度申し上げよう。「述語が文末に来る」という日本語の特殊性をよくよく踏まえたアナウンスを研究されるとよい。これは蓋し、大変重要な示唆を与えていると、我ながら感心しつつ語っているが、いずれにせよ、相手の立場に立った、分かりやすいアナウンスを、願わくば全国統一で作り上げてほしいものである。高がアナウンス如きで、関東と関西がいがみ合うのもしんどいから。