虹のかなたに

たぶんぼやきがほとんどですm(__)m

第44回 美人薄命

 大河ドラマ平清盛』が、史上最低視聴率の記録を打ち立てて最終回を迎えた。勤務先で、私を含む大河フリーク3人が集まり、何故かかる低視聴率に喘いだのかを議論した(仕事せえよと)。「少なくとも、昨年の『ファンタジー大河』よりは10倍以上面白い骨太作品であり、そこまで不人気とは考えにくい」「ほな、松山ケンイチがアカンのか?」「いや、清盛が年を取るにつれてなかなかに凄味が出てきている」「ほな、その他のキャストがダメなんか?」「いや、伊東四朗中井貴一中村梅雀上川隆也など、渋い演技で脇を固めている」「ほな、兵庫県知事がボロカス扱き下ろしたからか?」「確かに公人の発言としてどうかとは思うが、逆に話題となって視聴率アップになるはずでは」「ほな、今日日、皆が皆、日曜8時をリアルタイムで見てないのでは。そもそも視聴率の取り方自体が正しいんか?」「いや、それならばどの番組とて条件は同じであろう」とまあこんな感じで、得心のいく答が見出せない。
 
 そのうち、ある人がこんな意見を述べた。「男性を中心とした政治劇になっていて、全体に女性の描き方が弱い。そこが女性視聴者に受けない原因なのでは」と。女性の描き方が弱いと女性の支持が得られないのかどうか分からないが、確かに、のっけの第1回で、清盛の母・舞子(吹石一恵)が、弁慶の立往生の如くに無数の弓矢を浴びて絶命したのが、女性キャスト唯一の見せ場と言ってもいいくらいで、「悲劇のヒロイン」が全体的に少なかったのである。
 
 ところが、最終回では清盛の死後、壇ノ浦のみならず、義経の死までもが描かれのだが、清盛の妻・時子(深田恭子)が、「海の底にも都はござりましょう」と言いながら幼い安徳帝を抱いて海の藻屑となるシーンは誠に儚く美しく、「諸行無常」をこのシーン1つで全部表現し切ったと言っても差し支えのないものであった。彼女の出世作が、援助交際の末にHIVに感染する女子高生を演じる作品であったことを顧みるに、本作は正に面目躍如と言うべきであり、最終回にして「女性キャストの存在感」を誇示したと言えよう。件の兵庫県知事は、終了後にまだしつこく「画面が汚かった」と悪態をつく阿呆ぶりを世に晒したのであるが、そんなことはどこ吹く風、Twitterなどでは絶賛の嵐で、この視聴率騒動は一体何だったのだろうかと思う。
 
 こうしてフカキョンの入水シーンに落涙しながら堪能した『平清盛』であったが、過去の大河ドラマを回顧するに、「薄幸の女性」は作品の隠れた華であり、その名演は、今でも深く記憶に残っている。
 
 1979年の『草燃える』は、源頼朝石坂浩二)と北条政子岩下志麻)を主人公に据え、鎌倉幕府樹立を巡る武士たちの興亡を描いた作品である。普通こういうドラマでは、史実や一般的評価を少々曲げてでも、主人公をヒーローとして描くものであるが、特筆すべきは、頼朝が徹頭徹尾、暗愚の君として描かれている点にある。そして頼朝の暗愚のためにこの世の不幸を一身に浴びたヒロインが、他ならぬ頼朝の娘、大姫である。頼朝と不仲であった木曽義仲が和睦の証として送ってきた嫡男・義高と恋仲になる大姫であったが、頼朝によって義高は殺され、大姫は心を蝕まれ病臥に伏し、20歳の若さで早世してしまう。これを演じる、当時正に20歳だった池上季実子の薄幸の演技は絶品であった。彼女は、1981年の『おんな太閤記』では淀殿を、そして1983年の『徳川家康』では、家康(滝田栄)の正室・築山殿を演じるが、今度は一転、両作品とも烈女の役柄で、特に後者では、嫡男・信康(宅麻伸)とともに家康への謀反を企てた疑いで、誅殺されてしまう。この狂気じみた最期の演技が、また別の意味での薄幸ぶりで大いに魅せられた。
 
 橋田壽賀子のオリジナル作品である1986年の『いのち』は、女医として成長する主人公・高原未希三田佳子)の一代記であるが、戦争で足が不自由になるも、それを乗り越えて看護婦を志す未希の妹・佐智を演じる石野真子の幸薄げな演技が主人公を差し置いて話題になった。本作が放送されたキューバでは視聴率80%という驚異的な数字を叩き、彼女が後に彼の国を訪れたとき、国賓待遇で迎えられたという逸話もあるほどである。その陰に隠れてあまり目立たないが、リンゴ農家の息子・剛造(伊武雅刀)の妻・初子(山咲千里)のしおらしい演技は、それまでの彼女のイメージを一転させるもので、当時思春期の扉を開けたばかりの私の心を大いに鷲掴みにした。姑・テル(菅井きん)との確執と向き合いながら「農家の嫁」として懸命に働くも、病に倒れ、事もあろうに未希の誤診によって命を落とす。「これをこそ美人薄命と言うのかは」と唸らされ、この辺りは流石、橋田氏の真骨頂と言ったところである。
 
 1988年の『武田信玄』は、信玄(中井貴一)を基軸として、父・信虎(平幹二朗)や嫡男・義信(堤真一)との父子の対立、今川義元中村勘九郎、後の18代目勘三郎)、北条氏康杉良太郎)、織田信長石橋凌)、そして上杉謙信柴田恭兵)などの諸大名との攻防が重厚に描かれる男臭い作品であるが、信玄を取り巻く女性たちの姿も丁寧に描かれた。とりわけ異彩を放ったのは、三条夫人(紺野美沙子)の侍女・八重(小川真由美)の怪演であるが、若き日の信玄の初恋の人であり、その故に、第1回にしてその八重に殺される村の少女・おここを演じる、当時まだアイドルであった南野陽子の消え入るような演技も印象深い。彼女は後に二役で、信玄の側室・湖衣姫を演じるが、中井貴一に抱かれる演技をしたとき、ショックで撮影後、一人号泣していたという。当時21歳、きっと生娘だったであろう彼女の「番外編の薄幸ぶり」と言ったところか。
 
 この調子で書き連ねると際限がないので、以下箇条書き的に記すが、他にも、『春日局』で、将軍家光との悲恋の果てに自害する遊女・紫(若村麻由美)、『琉球の風』で、銃弾を浴びて蜂の巣状態で事切れる羽儀(工藤夕貴)、『功名が辻』で、秀吉の天下統一のために愛する夫と引き裂かれ、強引に家康に輿入れさせられる妹・旭姫(松本明子)、『風林火山』で、山本勘助の子を身籠もり幸せに暮らすも、信玄の父・信虎の気紛れで子もろとも惨殺される村娘・ミツ(貫地谷しほり)、『龍馬伝』で、ともに夫を非業の死で失うも気丈に振る舞う武市冨(奥貫薫)やお徳(酒井若菜)の静かな悲しみを湛えた演技など、「薄幸の女性」の魅力は枚挙に暇がない。
 
 そう言えば、昔から問われて答に窮する難問の一つに「好きな女性のタイプは?」というのがある。一度、「幸薄そうな人」と答えて顰蹙を買ったことがあるのだが、実際にそういう方とお付き合いをした実績もなく、現在我が家に暮らす女人1名は極めて猟奇的であるから、全く的を射ない答なのだろう。理想の女性像というのは、所詮虚構の世界でのみ美しく、文字通りに「偶像」なのかもしれない。来年の大河は、薄幸とは対極、「ハンサムウーマン」と呼ばれた新島八重の生涯を描く作品であるが、さて、どのように魅せてくれるのであろうか。