虹のかなたに

たぶんぼやきがほとんどですm(__)m

第75回 いただきます

 連続テレビ小説ごちそうさん』の視聴率が、10月16日の放送で27.3%を記録し、前作『あまちゃん』の最高視聴率をやすやすと超えた。あまロス患者としては、別に『ごちそうさん』に対して対抗意識を燃やしている訳でもなく、“朝ドラの王道”を行く本作の面目躍如であるとただただ得心するのであるが、ただ、あの長身で、顔のパーツの一つひとつが際立つ女性が、明治・大正・昭和の激動の時代を生き抜いた人に見えるかと言えば、さて、どうであろう。それに、吉行和子の現在のクレジットが「ぬか床」というのは一体どうしたものであろうか。亡くなった後もヒロインを見守る祖母の役どころというのはよいのだが、大女優を捕まえて「ぬか床」呼ばわりとはあまりに失礼ではあるまいか。
 
 ところで、第73回でも記したように、今夏は尿路結石に散々苦しめられたのであるが、疝痛に身悶えしながら近所の泌尿器科へ駆け込んだところ、医者がとんでもなく横柄なのには大概吃驚した。問診票に詳細を記したにも関わらず、それを一瞥することもなく開口一番、「で、何や?」。一度記したことを再び口頭で説明するも、一々、毒交じりの合いの手を入れてくる。救急搬送された病院名を言えば、「知ってるっちゅうねん。どこどこにある、何々病院やろ? それくらい知ってるっちゅうねん」とキレられるし、どこがどのように痛いかを説明すれば、「そら、結石やねんから当たり前やがな」とツッコまれる。挙句の果てに、腹部エコーを診ながら、「結石もええけど、内臓脂肪が山盛りやで。ちょっとはダイエットしたらどないや」とまで詰られては、こちらの面目が立たぬ。会計時、渡された診察券を「二度と来ませんので結構です」と突き返して出てきてやった。
 
 そのような憤懣を抱えながらの“闘病”であったが、確かに、若かりし頃の「身長176cm、体重58kg」の細身はどこへやら、ピーク時よりは15kgほど落としたものの、今なお、体重計に載っては溜め息が洩れるばかりである。しかし、毎朝、『ごちそうさん』の主人公のあの「食」に対する執着心を見ていたら、ダイエットだの何だのと言って摂生に努めるのが阿呆らしくなってくるし、むしろ、食べたいものを食べたいだけ食べるのが人間としてのあるべき姿ではないかとさえ思えてくるのである。
 
 大学生になり大阪に戻ってきて一人暮らしを始めた当初、それはそれは貧しくて、例えば「具の無いお好み焼きにソースだけかけて食う」なんてことを日常茶飯事としてやっていただけに、アルバイトの時給がアップに比例して、徐々に生活水準が向上して食のレベルも上がっていったのには本当に幸せを実感できた。自分の金で寿司屋とか焼肉店とかに行けるようになったのは社会人になってからであるが、極貧を経験した戒めから、豪勢な晩餐は「頑張った自分へのご褒美」の位置づけである。所帯を持つようになった現在でも「ご褒美」は月1回というのが我が家の取り決めだ。
 
 同様に「ご褒美」を食に求めるという人は少なくあるまい。今年、私の勤務先に入社してきた大学を出たばかりのある若者が、社会人デビューして最初の1か月を頑張った「ご褒美」に、初任給を握り締め、鴨料理を食しに行った。生まれて初めて口にする鴨に、相当心を昂らせて店に入ったことは想像に難くない。一人で鴨料理というのも凄いと思うが、哀れなるかな、彼はその「鴨」に当たって吐くわ下すわの大惨劇に見舞われたのである。会社を1日休み、回復して出勤するや、上司はこう言った。「鴨ってさあ、それ自体を食うというより、どっちか言うたら出汁を取るためのもんという認識やねんけどなあ……」と。折角の「ご褒美」を出汁扱いされるなんて。
 
 彼は後に、今度は旅先で鯨を食した。下関の市場で昼食を摂ることになって、当地であればふぐを注文するのが一般的だと思うのだが、メニューを眺めて「鯨を食べたことがない」と思い立った彼は、「鯨定食」を頼んだ。旅行後、如何に美味であったかを語るのであるが、それを聞いた上司は、「あのな、捕鯨ってどうやってやるか知ってるか? 撲殺やねんで撲殺。魚には痛覚がないから釣っても酷(むご)いことはないねん。でもな、鯨は魚やないんやで。我々と同じ哺乳類やねんで。殴られたら痛いんやで。そないして捕った鯨を食うなんて、自分は一体どういう了見をしてるねん。二度と鯨なんか食うなよ、ええな分かったか!?」と、シーシェパード張りに責め立てたのだ。彼はどこまで食に関して不運なのであろうかと、いよいよ哀れに思えたのである。
 
 尤も私とて、折角下関まで行きながら、何故わざわざ鯨を食おうと思うのかと首は傾げた。彼はふぐとて食したことがないのである。それに、彼は美味いと言って憚らなかった鯨肉というものは、我々の世代にとっては(少なくとも私にとっては)、「食の拷問」たる学校給食と不即不離の関係にあり、当時のトラウマが、今でも私に、箸を鯨へは運ばせようとしないのである。
 
 如何に安価に毎日の食事を摂らせてもらっているからとは言え、あんな固く噛み切れない肉を食わされ、食べ残しは決して許されないなんて、「食の拷問」以外の何物でもあるまい。そうこうしているうちに給食の時間は終わり、掃除が始まってしまうのだが、なお解放されることなく、机もろとも教室の後ろに追いやられ、埃にまみれつつ、号泣しながら肉との格闘が続く。そのうち耐え切れなくなり、先生の目を盗んでティッシュに口から吐き出したものを包み、密かにランドセルの中に押し込む。しかし、それを忘れて数日間放置し、そこから名状し難い悪臭が放たれ、異変を察知した担任に中身を改められて自らの罪状が白日の下に晒される。クラスメイトの衆人環視の中、苛烈な折檻を受けたのは言うまでもない。私はその後暫く、鯨肉に限らず肉類の全てを拒み、「草食系男子」として過ごすようになったのである。体重58kgの痩身が保たれたのには、かかる必然があったである。
 
 こうして私の偏食は、“食わず嫌い”ではなく、“食うたけれども嫌い”として形成された。でも、それを如何にも美味しそうに食べている人の姿を見ると、自分はきっと勿体ないことをやっているのだろうという切なさに身をつまされるのだ。その思いが嵩じて、恐る恐る口にしてみると、子どものときにあれだけ忌避していたのが嘘のように、つるりと喉を通ることもある。おかげで、極めて部分的ながらも偏食を克服し、「草食系男子」は一転、「肉食系男子」へと変貌を遂げたのであるが、良いもの、美味しいものは人の人生観を変え、生きることの喜びを実感せしめるのだと思う。
 
 そして、一家の大黒柱は時に“主夫”となり、「男の料理」に目覚める今日この頃である。自らキッチンに立てば、「馳走」してくれた人への感謝を持って、心の底から「いただきます」と言えるのだ。豊かな食生活は、豊かな心と体を作る。その意味で私は、四十路を迎えてもまだまだ成長中である。