虹のかなたに

たぶんぼやきがほとんどですm(__)m

第71回 誰がために鐘は鳴る

 大河ドラマ『八重の桜』も、前半のサミットである会津戦争を終え、後半の京都編へと進んでいる。そのサミットで描かれる数々の悲劇――白虎隊然り、娘子隊然り、それらの最期において「号泣する準備はできていた」のだが、それがどうしたことか、極めてあっさりとした描かれ方だったのは少々拍子抜けだった。特に中野竹子黒木メイサ)が新政府軍の銃弾を浴びて斃れ、敵に首級を与えるを潔しとしない母・こう子(中村久美)に介錯されるというのは、会津の悲劇における一つの見せ場であるはずだが、事もあろうに娘の遺体を戦場に置き去りにしたまま逃走したのである。介錯したのは竹子の妹という説もあり、史実がどうとか、そんなことはよいのだが、デキ婚から出産を経てのスピード復帰第一作という点然り、オープニングのクレジット位置も大物俳優を差し置いての“特別待遇”である点然り、そうした鳴り物入りのキャスティングでありながら、当の黒木の最期の描かれ方がそれかい、と突っ込んでしまったのである。
 
 とは申せ、同じ娘子隊で、敵方に捕らえられ自害して果てる神保雪(芦名星)、その夫で、鳥羽・伏見の戦いの敗戦責任を負って切腹する修理(斎藤工)、さらには父である神保内蔵助津嘉山正種)と田中土佐(佐藤B作)の2人の家老の差し違え、そして敗戦後、藩主・松平容保綾野剛)の汚名を雪ぐべく、罪を一身に背負って自刃する萱野権兵衛柳沢慎吾)、夫・西郷頼母西田敏行)の登城後、家族を集めて殉死の大義を説き、一族21人とともに自刃した妻・千恵(宮﨑美子)、そして死に切れず息の残る長女・細布(たえ)から「敵か、お味方か」と訊かれ、「味方だ」と答えて介錯してやる“武士の情け”を示した板垣退助加藤雅也)等々、ティッシュなしでは見ていられない名場面は数々あり、やはり大河ドラマの華は脇役の名演だと再認識するのである。
 
 大河ドラマで幕末を描くと視聴率が取れないというジンクスがあるらしいが、「太平の眠り」から覚めて以来、激動に次ぐ激動であったこの時代には、国を守らんとした人たちの様々なドラマがあり、私の記憶にある作品だけでも、1980年の『獅子の時代』、1990年の『翔ぶが如く』、1998年の『徳川慶喜』、2004年の『新選組!』、2008年の『篤姫』、2010年の『龍馬伝』、そしてこの『八重の桜』というラインナップのそれぞれにおける役者たちの名演が印象に残る。特に、『獅子の時代』の加藤嘉の演技は、大河ドラマ史に残る絶品中の絶品ではないかと思うのだ。会津戦争に敗れ、下北半島の斗南(となみ)藩に転封になり、草の根も生えぬ不毛の地で壮絶な辛苦を嘗めながら、それでも会津藩士としての誇りだけを心の支えに耐え忍ぶも、廃藩置県の決定を知り、精神を蝕まれ、「薩長の外道め!」と叫びながら、雪の中自害して果てる――こうして書いていてもそのシーンが思い出され、泣けてくるほどである。
 
 そんなことを思い出しながらふと、これらの中では、三谷幸喜脚本の『新選組!』を長いこと見ていないよなあと思い至り、ちょうどTSUTAYAで4本1000円キャンペーンをやっていたので、続編である『新選組!! 土方歳三 最後の一日』を含む全14巻を借りて、一気に鑑賞した。9年前の作品であるが、とにかく出演者が皆若い。香取慎吾山本耕史藤原竜也オダギリジョー中村勘太郎(現・6代目勘九郎)、山本太郎堺雅人山口智充といった隊士役の人たち個々の若さと熱さが漲(ほとばし)り過ぎて、芹沢鴨を演じる佐藤浩市の凄味が完全に浮いてしまっていたほどである。
 
 そうした青春群像劇としての『新選組!』こそが彼らの姿だと思い込んでいたものだから、その6年後に放映された『龍馬伝』での新選組の描かれ方が180度違うのには、大変な衝撃を受けた。そこに出てくる新選組は、民衆を震え上がらせる殺戮集団であり、龍馬や人斬り以蔵を追い詰める様は、さながらテロリストの様相だったのである。とりわけ、近藤勇を演じた原田泰造の鬼気迫る演技は、バラエティ番組で「ネプ投げ」をやっていた彼とは全くの別人で、龍馬を主人公に描くとそうなってしまうのは宜なる話ではあるが、視点を変えると描かれ方はここまで変わるものかと嘆息を漏らしてしまったのである。
 
 方や、その坂本龍馬福山雅治)は、新しい日本を作るために東奔西走し、西郷隆盛高橋克実)と木戸孝允谷原章介)を引き合わせ、薩長同盟成立の仲立ちをしたというのに、大政奉還の実現後、その薩長から危険視され、果ては見廻組の今井信郎市川亀治郎、現・4代目猿之助)に斬り殺される。龍馬だって、新選組だって、会津藩だって、人のため国のために命を賭して戦った。だのになぜ、皆が皆、人の恨みや憎しみを一身に背負って、散っていかなければならなかったのか。それを思うと、そこはかとなく居た堪れない気持ちに駆られるのである。
 
 折しも一昨日は、終戦記念日であった。何かと喧しい1日であるのは例年のことであるが、それを見るにつけ、この日は一体、誰に思いを致す日であるべきなのだろうと、毎年考えさせられる。
 
 全国戦没者追悼式で、遺族代表として追悼の辞を述べた92歳の女性の、「最愛の夫を、父を、兄弟を、そして子を失った私たちの悲しみは深く、切なく、とても言葉では言い尽くせるものではありません。悲惨な戦争の教訓をしっかりと心に刻み、すべての人々が平和で、心豊かな世界となりますよう、たゆまぬ努力をいたしますことをお誓い申し上げます」と述べる矍鑠たる姿が印象深かったし、8月9日の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典で、田上富久市長が「あなた方は被爆者の声を直接聞くことができる最後の世代です。68年前、原子雲の下で何があったのか。なぜ被爆者は未来のために身を削りながら核兵器廃絶を訴え続けるのか。被爆者の声に耳を傾けてみてください。そして、あなたが住む世界、あなたの子どもたちが生きる未来に核兵器が存在していいのか。考えてみてください。互いに話し合ってみてください。あなたたちこそが未来なのです」と若者たちに語ったメッセージも深く心に響いた。
 
 「戦争を知らない子どもたち」が大人になり、そのまた子どもたちである我々も大人になって、戦争体験者の生の声を聴くことがそろそろ叶わなくなる。国のために身を捧げ、散っていった人たちを「英霊」と言う。確かにそうした人たちがあって今の日本の平和はあるのだろうが、「お国のため」と信じて戦った人たちの遺族のやり切れなさは、68年を経た今でも根強く残っているのだろう。立場を変えれば戦禍のあったいずれの国の人たちとて同様。私はあくまで、戦争に命を散らした人々、そして悲しみを背負って今なお生き続ける人たちに思いを致したいのだ。そしてそのためにはやはり、戦争体験者の「声に耳を傾けてみ」ることが必要だろう。「人のために働いたゆえの悲しみ」という痛切なパラドックスを理解することができれば、卑小なことかもしれないけれど、日々の人間関係における争いや諍いにも、立ち止まって何事かを考えることだってできるのではないかと思うからだ。我々市井の人間が作りゆく「平和」って、そこから始まるのではないだろうか。