虹のかなたに

たぶんぼやきがほとんどですm(__)m

第43回 聖なる夜に

 今年のクリスマス・イブは三連休の末日、天皇誕生日の振替休日である。私は「三連休は三連勤」であるから世の人々の喧騒とは全く無縁に生きているのだが、昨日は会社の前の御堂筋を、「天皇陛下万歳」を連呼する街宣車が取っ替え引っ替えのろのろと走り抜け、今日は今日でイエス・キリスト様の降誕を祝すという大義名分の下に、多くの男女が、目眩く愛欲の海にそこら中で溺れているのである。神格化された方々と、ただの平民である自分とを同列に考えるのは如何にも不遜の極みではあるが、そこまでして皆に盛り上がってもらえるお方というのは、心底羨ましく思う。私の誕生日は9月14日であるから、前夜である9月13日は、「ナオキマス・イブ」と称し、淀川の河川敷で祝砲の一つでもぶっ放してほしいものである。
 
 しかしそれにしても、このクリスマス・イブの盛り上がりは一体何としたものであろうか。逢瀬を重ねる男女のおそらくほとんどはキリシタンではあるまいし、大体、聖書の一つでも熟読して、キリスト様の降誕に思いを馳せようとする者など多分に皆無である。現任ローマ教皇ベネディクト16世は、2005年にこんなコメントを発している。曰く、「現代の消費社会の中で、この時期が商業主義にいわば『汚染』されているのは、残念なこと。……降誕祭の精神は、『精神の集中』と『落ち着き』と『喜び』であり、この喜びとは、内面的なもので、外面的なものではない」と。また、2012年12月19日には、イギリスの経済紙であるフィナンシャル・タイムズへ寄稿し、その中で、次のように述べた。「クリスマスには聖書を読んで学ぶべきだ。政治や株式市場など俗世のできごとにどう関わるべきかの啓示は、聖書の中に見つけられる。……貧困と闘わなければならない。資源を公平に分かち合い、弱者を助けなければならない。強欲や搾取には反対すべきだ。……クリスマスはとても楽しいが、同時に深く内省すべき時でもある。私たちはつつましく貧しい馬小屋の光景から何を学べるだろう」。仰せご尤もと言う他なく、私もまたキリスト教徒ではないが、しかしこういう時にこそ、静謐の中で何事かに思索を巡らしたいと思うのである。
 
 私の勤務先は大阪の本町、御堂筋沿いのビルにあるのだが、とりわけ聖夜が日曜や休日と重なったときなど、煩悩と完全に切り離された解脱の世界が茫漠と広がっていた。休日出勤に勤しむ企業戦士に吹き付ける外の風の冷たさたるや並々ならず、体感温度ならぬ「心感温度」は氷点下である。しかるに昨今では、「光のルネサンス」というイベントをやっているものだから、イルミネーションが御堂筋を煌々と照らし、日曜だろうが祝日だろうが、浮ついた者どもが商都大阪の聖地に止めどもなくずけずけと侵入してきているのである。それをオフィスから高みの見物とばかりに見下ろすのも一興ではあるが、それはそれで寒い話で、室内にいながら「心感温度」は再び氷点下を記録するのである。
 
 独身時代、そんな冷え切った心で家路に就き、聖夜といえども通常通り、家の近所のコンビニで晩飯を買って帰るのだが、品揃えがクリスマス仕様となっており、通常の食事を摂りたい者には大層な迷惑であった。かてて加えて、サンタクロースの格好をした店員に売れ残りのケーキを押し付けられるのが耐え難き苦痛であった。こんな時間に疲れ果てた表情を浮かべてビールと惣菜を買わんとする者に、一体どういう料簡でクリスマスケーキなぞ売り付けようとするのだろうかと憤懣遣る方なくなるのである。しかしよく考えれば、彼らとてこの聖なる夜に、店の外にまで出て、顔に刺さる夜風を堪え忍んで懸命に売り子をやっているのだ。今日この日、最もストイックに生きるのは、他ならぬ彼らなのかもしれない。
 
 いつぞやのイブの帰宅時に乗っていたJR環状線の女性車掌のアナウンスで、「次は桜ノ宮」が異様にハイテンション、しかしその次の「次は天満」で一気に鬱声になるのを聞いたことがある。桜ノ宮で大挙して降りてゆく男女の群れを見て、思うところがあったのであろう。彼女もまた、人の業というものを乗り越え聖夜を頑張って過ごしているのに違いない。そんなことに思いを致せば、世の人々がクリスマスだのサンタさんだのと浮かれる時間は、こうして文句や愚痴の一つも言わず、世のため人のために労働に勤しんでいる人々の献身的な使命感によって享受されることなのだと知るのである。そんな切なる尽力に報いるべく、勤労感謝の日は11月23日ではなく、12月25日にしてはどうだろうか。正しいクリスマスである明日なんて市井の人々にとっては単なる残りカス、けれども夜の明けたその日にこそ、大手を振って街を闊歩すればよいのだ。
 
 さて、「一人暮らし×2」の我が家とて、クリスマス・イブなんてどこ吹く風とばかりに共働きに勤しむ貧困家庭であるが、2人して残業を終えて帰宅し、閉店間際の駅前のスーパーで980円から3割引のクリスマスオードブルと、その先のコンビニで小さなショートケーキと缶チューハイを、それぞれ購入。こんな夜更けに今からささやかなクリスマスパーティーである。やいのやいのと言いつつ、やっぱり店頭に淋しそうに並ぶ売れ残りのクリスマスディナーたちを見ると買わずにはおれない我々もまた、商業主義に毒された小市民なのだ。明日も朝は早いから、食って飲んだらさっさと寝なくてはならない。枕元に靴下を置いておいたら、毎日仕事を頑張っているご褒美に、サンタさんは何かプレゼントを入れておいてくれるだろうか。今日1日穿いていたのを脱ぎ散らかした、馨しき靴下ではあるが。