虹のかなたに

たぶんぼやきがほとんどですm(__)m

第42回 なつかしき未来

 JR東海が、山梨県都留(つる)市のリニア実験線車両基地で、リニアモーターカーの新型車両「L0系」を公開した。未来がまた一つ現実味を帯びてきたと感ずるニュースではあるが、幼い頃、「東京・大阪間が1時間で結ばれる」と吹聴されたリニア中央新幹線の全線開業が現実のものとなるのは、何と2045年のことになるらしい。そのとき私は72歳。定年前に皆に惜しまれながら逝き、盛大なる社葬を以てあの世に送り出してほしいと願う私は、子どもの頃から憧れてきた「未来の超特急」をついぞ経験しないまま、永訣のときを迎えることになるのである。こればかりは現世への心残りとなりそうで、成仏できないのではないかと、今から大いに心配である。
 
 子どもの頃に思い描いた「21世紀の未来」というのは、そこら中にチューブ状のムービングウォークが張り巡らされて人々が行き来し、その人間は宇宙服のような衣装を召して生活している。そして遠く離れたところを考えられないような短時間で結ぶリニアモーターカーは、「21世紀の未来」の最大の象徴であった。当時の「ひかり号」が3時間10分をかけて結んでいた東京・新大阪間を、時速500km、僅か1時間で駆け抜けるというのだから、これはもう、物凄いことである。
 
 生まれて初めて東京の街に降り立ったのは、小学1年生のとき。叔母の結婚式が行われるということで、そのとき住んでいた岡山から、新幹線に乗って旅立った。当時の東京・岡山間は、最速のひかり号でも4時間10分を要する長旅であるが、台風の通過直後で、新幹線のダイヤは大幅に乱れて2時間以上遅延し、まだ幼稚園児でもともと無料だった妹を含めて一家4人、岡山から東京まで無賃で行けたと、両親が狂喜していたのを記憶している。狂喜するのはよいが、指定席が全て解除されて自由席になるという、現代では考えられないような措置が取られ、すし詰めの中で東京までの行程を耐え忍ぶ苦行であった。満員電車に詰め込まれて幼子が長時間じっと黙っていられるはずもなく、妹はその内狂ったように泣き出すのであるが、たまたま立っていたのが車掌室前のデッキで、心優しい車掌さんが、車掌室を開放してくれ、座らせてもらった記憶がある。国鉄が荒廃し切っていた時代だったと思うが、新幹線に乗務する人々の誇りや矜持は別格であり、7歳にして「旅は道連れ世は情け」の何たるかを知ったのであった。
 
 次に東京へ旅するのは、それから随分経った、大学1回生も終わらんとする早春の日のことである。東京の大学に進学した幼馴染みを訪ね、アルバイトの給与を貯めて自分で買った新幹線の切符を握り締め、昼下がりの新大阪から一人、乗車した。時は流れ、東京行きの主流は既に「ひかり号」から「のぞみ号」にシフトし、今と同じ2時間30分にまで所要時間は短縮している。今回は、シートにゆったり身を委ね、目まぐるしく移り変わる車窓を愛でながらの旅であった。新大阪発車時には晴天であったのに、関ヶ原付近で突然猛吹雪に見舞われ、車窓は一転、銀世界に。ところが名古屋に到着すると何事もなかったかのように晴れ渡り、そして静岡を通過したあたりで、真っ赤に染まる夕空に映える富士の高嶺が視界に飛び込んできたときは、思わず感嘆の声を上げてしまった。その後は度々上京の機会を持ち、就職してからは出張で東京へ行くことも多いのであるが、新幹線の旅と富士山の車窓は、常に切っても切り離せない。
 
 私は生来の「いらち」であるから、如何に旅好きとは申せ、「青春18きっぷ」を片手に、大阪から東京まで鈍行を乗り継いで行こうとはなかなか決断できないのであり、その意味でもリニア新幹線の全通は一日千秋の思いで待ち焦がれるところであるが、それならば、それこそ1時間で飛んで行ける飛行機に乗ればよいではないかという意見もあるかもしれない。しかし、飛行機というのはどうにも好きになれないのであって、あんな金属の塊が宙に浮くことが何としても得心できないのであり、それより何より、「旅の醍醐味は、移りゆく車窓を愛でること」を信条とする私にとって、何の変哲もない空と雲を眺め続けることは耐えられないのである。富士の高嶺は、やはり地上から仰ぎ見るのが正しいあり方だと思うのだ。
 
 車窓を愛でることを信条にすると大言壮語に及びながら、一方でスピードを求めるという自己撞着に陥る自分に嫌気の差すところであるが、そんな私の胸に突き刺さる1つのメッセージがある。1989年に、JR東海は「リニア・エクスプレス」というCMを放映している。「シンデレラ・エクスプレス」に代表される、当時キャンペーンを張っていた「エクスプレスシリーズ」の一環であるが、このCM(http://www.youtube.com/watch?v=4W38UyWNudc)で語られる次のメッセージがそれである。

 一日は、もっと長かったと思う。
 小学生の時、一時間はとんでもなく長かったけど、
 高校に入ったら、一時間は随分短くなった気がする。
 近頃、時間が経つのが早くなったような気がする。
 大人になると、もっとひどくなるらしい。
 このままでは少し怖い気がする。
 だから、年を取る前に、何かが変わらないと、
 私の時間はなくなってしまうと思う。

 JR東海が、自らここで既に「西暦2000年、時速500km、東京・大阪1時間」と謳っているのに、12年経った今もその約束が履行されない、そのことを突っ込みたいのではない。「リニア・エクスプレス」を宣伝するCMで、その最大の売りである時間短縮に対して述べられるアンチテーゼが、それから20年以上を経て「大人」になった今、ずしりと我が胸に響くのである。計画通りの人生だと、私はもう、その折り返し点を過ぎていたのだ。少年時代に思い描いた21世紀はいつしか「なつかしき未来」になってしまっている。現実の21世紀は、その「なつかしき未来」にはまだ遠く及ばないのであるが、それ以上に自分の進歩や成長は足踏みなのであって、しかし時間はどんどん過ぎていくばかり。「何かが変わらないと、私の時間はなくなってしまう」という焦燥は今正に、身を以て痛感されるのである。不惑を来年に控え、新幹線のスピードアップよろしく生き急ぐのを少し止めて、少年の心を再び呼び起こし、改めて、この先歩んでいくべき「未来」を思い描いてみたいと思う。できるだけ、希望に満ちた、明るい未来を。
 
 その前に、来年は前厄であるから、年が明けたらすぐに、厄除けに行ってこないといけないのであるが。