虹のかなたに

たぶんぼやきがほとんどですm(__)m

第41回 平成デモクラシー

 京阪電車のイメージキャラクターである「おけいはん」がこの度代替わりし、一般公募により選ばれた大学生が5代目の座を射止めた。
 
 初代が「淀屋けい子」、2代目が「京橋けい子」、3代目がなぜか「森小路けい子」、そして4代目が「楠葉(誤記ではない。駅名は「樟葉」だが、地名は「楠葉」なのである)けい子」と来たから、遂に京都に達して「八幡けい子」とか「伏見けい子」とかになるのかと思いきや、一気に逆戻りして「中之島けい子」である。鳴り物入りで開業した中之島線が全くの閑古鳥で、淀屋橋駅の利用者からは「本来なら確実に座れるのに本数が減って、迷惑を極める新線である」と扱き下ろされる始末であるから、何とかその名誉を回復したいという思惑が見え隠れする。しかし、京阪沿線に生まれ育った者からすれば、「光善寺けい子」とか「御殿山けい子」とか「六地蔵けい子」とか、これくらいの意表の突き方を期待したいところであった。
 
 そんなことはどうでもよいのだが、今回の5代目おけいはんの選考結果を巡って、ちょっとした「炎上」になっている。一般公募が行われたのは今回が初めてであるが、事前に行われたWEB投票の結果が「4位」だった人が選ばれたのである。京阪電車の公式サイトによると、1位が98,174票、2位が91,305票、3位が77,854票、そして5代目に決定したこの人は56,892票であるから、1位とは40,000票以上開いており、有効投票数が411,615票であるから実に1割の差である。「WEB投票の結果は、最終選考会の参考資料とする」という説明は事前にあったものの、ここまで差が開くと疑義が生じるのも宜なる話であろう。
 
 今回の最終選考会の選考委員は、成田山不動尊の執事、京阪電鉄の社長、そして初代と4代目のおけいはんと、ここまでの人選は分かるのだが、作家の若一光司氏と、どこかの着物学院の院長は、何の必然性があって名を連ねているのであろうか。とにかくこの6名が、約40,000票の差を制して、「新おけいはん」を選んだのである。
 
 早速、FacebookTwitterでは、「WEB投票って何だったのか。投票結果が尊重されないなら最初から選考委員だけで決めればよかったのでは」とか、「これでは出来レースではないか」とか、「新CMのフレーズは『みんなで選んだおけいはん』とあるが、到底『みんなで選んだ』結果ではない」とか、「思った以上に、フツーな感じの人ですね」などと、選考結果が腑に落ちないとする憤怒や憤懣の声が飛び交っている。それにしても「フツーな感じの人」とはお門違いも甚だしい的外れの意見なのであって、先代である4代目などは本職の女優でありながら大いに「フツー」の感じを醸し出しているのであり、「京阪沿線に住んでいるフツーの女の子が、地元民の視点で京阪沿線を宣伝する」のがコンセプトであるのだろうから「フツー」でよいのであるし「フツー」でなければならぬのである。タカラジェンヌみたいな人が「京阪乗る人、おけいはん!」と絶叫していたらどうあってもおかしいだろうよ。
 
 再び話が逸れてしまったが、私自身、5代目の「新おけいはん」自体に異論がある訳でなく、また他の5名の候補のいずれかを特段に推していた訳でもない。ただ、こうした公募制においては得てして民意が必ずしも反映されないことも多く、民主主義の何たるかを考えてしまうのである。
 
 類例としてよく話題に上るのが新地名の決し方である。平成の大合併において、雨後の筍の如く全国各地に誕生した「ひらがな地名」というのがあるが、その先鞭と言えるのが埼玉県の県都、「さいたま市」であろう。浦和・大宮・与野の3市が合併し、後に岩槻市編入されて、人口約123万人の政令指定都市が誕生したのであるが、新市名の決定には相当な紆余曲折があったようである。まず新市名の公募を行い、その結果は、1位が「埼玉市」で7,117票、2位が「さいたま市」で3,821票。3,008票を集めて3位だった「大宮市」を推す旧大宮市は、端から公募制自体に反対するなど猛烈な抵抗をして膠着したのだが、それ以上に問題なのは、公募結果の中から新市名候補としたのが「埼玉市」、「さいたま市」、「彩都市」(5位)、「さきたま市」(7位)、「関東市」(37位)と、「上から順に5案」ではなかったこと、そして最終、2位の「さいたま市」の倍以上の票を集めた「埼玉市」が落選したことである。決定の理由は「市名から受ける感じをやさしく柔らかくするイメージがある」という、ひらがな地名選定の際のお決まり文句であるが、これが1位を抑えて2位を採用する合理的な理由に当たるのかどうか、当時の新市名検討委員会の見識が問われるところであろう。
 
 民主制においては、「多数決」が比較的最もよく民意を反映できるということで用いられるのであるが、全会一致でない限り、必ず「反映されない民意」が存在する。組織票など、恣意的な力が働くと衆愚政治につながる危険性も孕み、万能ではない。決選投票など、何とかそうした問題をクリアする手法も考えられるのであるが、いずれにしても少数意見を汲み取ることはできない。組織のマネジメントに当たる者はこの不条理に苛まれる局面が少なからずあるのであって、最終的には自らがその意思決定をせねばならない。それには相当な深謀遠慮や判断力、さらには調整能力が求められ、多数の意見を採れば少数意見の黙殺や切り捨てと非難され、少数意見を採用すれば圧倒的多数を敵に回すことになる。最悪の場合、組織分裂を招来するというのは、この数日の政局を見ていても明らかで、私などは、役職手当というものはそうしたものを背負う重圧に対する対価ではないかとさえ考えるものであり、かかる苦悶と向き合ったことは数知れずである。「絶対文句言わへんから、あんたが決めてよ」と言ってもらえたら、どれだけ楽なことか。
 
 所詮、完全な民主主義なんて実現不可能な絵空事よ、と厭世的な結論になってしまうのだが、「新おけいはん」の選考委員には、せめて如何様に“民意”を汲んだのかお尋ねしたいところであるし、それより何より、5代目「新おけいはん」が、本人の与り知らぬところで展開される「炎上劇」に屈することなく、立派にその“名跡”を襲名してもらいたいと、京阪沿線を愛する者は、切に思うのである。