虹のかなたに

たぶんぼやきがほとんどですm(__)m

第57回 線路は続くよどこまでも

 お江戸の方では、東京メトロ副都心線を介した東急・東武・西武などの相互直通運転開始で喧(かまびす)しいようである。東横線の渋谷駅がなくなるのは、関西で言えば、「日本一の私鉄ターミナル」と謳われる阪急梅田駅の威容が、御堂筋線と直通を始めるために忽然と姿を消すようなもので、確かにさまざまな批判が噴出しそうである。
 
 そもそも関西では、地下鉄と他社との相互直通というのはあまり盛んではなく、特に大阪の場合、既存路線が地下鉄に乗り入れて都心へ直通するという「本来の意味」での相互直通は、堺筋線阪急電車くらいのもので、北大阪急行御堂筋線の延長のようなもの、近鉄けいはんな線(このネーミングがどうしても好きになれないのだが)も中央線が生駒を越えて登美ヶ丘まで延びただけのことである。京都では、烏丸線近鉄の直通が「本来」のもので、京阪が片乗り入れする東西線は、廃止となった京津線の代替であり、大津方面から三条へ出るのに、地下鉄の分の値段が上がっただけという不満は今尚上がる。神戸での北神急行西神・山手線が六甲山をぶち抜いて延長したという体であり、それはそれで有馬や三田方面から三宮へ出るのに劇的な時間短縮となったのだが、運賃が高いのと、谷上から先の神戸電鉄が“亀の行進”であるから、新神戸トンネルから神戸三田インターまで、1か所の信号もなくぶっ飛ばす高速バスに完敗である。
 
 関西における「本来の意味」での相互直通の嚆矢は、昭和43年に始まった、神戸高速鉄道を介した阪急・阪神・山陽のそれであろう。阪急・阪神須磨浦公園まで、山陽は六甲と大石まで、いずれも特急が乗り入れていたが、昭和59年に、山陽の回送車が阪急六甲の待避線から停止信号を冒進して本線に出ようとしたところへ、通過する阪急の特急が衝突するという事故が発生した。それが禍根となったのか、その後阪急から山陽への乗り入れは普通車に変更になり、一時再び特急に戻ったものの、輸送力不足も相俟って、平成10年には乗り入れ自体が廃止となった。一方の阪神と山陽は、「直通特急」が梅田と姫路を結んでいるが、如何せん、もともと多かった途中の停車駅が雨後の筍の如くに増殖し、最高時速130kmを誇るJRの新快速には太刀打ちするべくもない。
 
 直通運転のメリットは「乗り換え不要」ということに尽きようが、その分、一度ダイヤが乱れれば収拾がつかなくなる。関西でこの手の混乱が顕著なのは何と言ってもJRである。新快速の運転区間北陸線敦賀から赤穂線播州赤穂にまで至るなど、大阪駅を基点とした直通運転の範囲が、特急列車を別にしたとしても、近畿2府4県に福井県岐阜県三重県まで含むというとんでもない広域に及び、駅に1時間立っているだけで、まあよくこれだけバラエティに富む行き先が現れるものよと感心するのだが、これはすなわち、ある箇所で発生した人身事故の余波が、最大で300km近く離れた先にまで及ぶことを意味する。そして、「何であそこで起きた事故でここが迷惑を蒙るねん」と、乗客は憤懣を募らせるのである。
 
 また、直通によって、本来始発駅だったのがそうでなくなることにより、「着席機会が失われた」という反撥も須らく沸き起こる。関西では、最近だと近鉄奈良線阪神なんば線の相互直通によって、難波から奈良方面に帰宅する乗客から「座って帰られへんようになったから、何にもええことあらへん」とぼやきの声が聞かれ、もう少し前だと、JR東西線の開通で、京橋から学研都市線方面への帰宅者も同じようなことを口にした。天王寺駅においても、大和路快速関空・紀州路快速は、環状線からの乗客で既に満員であり、ここから奈良や和歌山の方へ向けて帰宅する者は、「最後の体力」を毎日温存しておかねばならない。
 
 しかし、こうした直通の需要を鉄道会社に喚起せしめたのは他ならぬ乗客であり、私などは、今のJRの複雑怪奇な運転系統よりも、かつてのように「東海道山陽線阪和線はブルー、環状線片町線はオレンジ、関西線はグリーン、福知山線はイエロー」と路線ごとに電車が厳然と分かれていた方が判りやすいし、すっきりしていてよいと思うのだが、拠点駅で下車せず乗り通す乗客の多さを見ていれば、時代のニーズはそうではないのだろうと頷かされる。社会の公器たる鉄道会社はさまざまな需要に応える責務があるのであり、企業の在り方として間違ってもいない。いないのだが、そうしたことの結果として起こった悪夢が、8年前に起こったJR宝塚線脱線事故である。
 
 各線との直通もスピードアップも定時運行も、乗客のニーズに応えたものだったはずである。かく申す私も、以前天満から三田まで通勤していたとき、「尼崎と宝塚にのみ停車する新快速を走らせるべきだ」と声高に叫んだ者の一人であるし、JR東西線ができて、京橋経由で直通の快速に乗れば1時間座って眠って行けると喜んだものである。このことを棚に上げてはなるまい。事故の当時、あるスポーツジャーナリストがテレビ番組で、「これはJRの利益至上主義が惹起した悲劇である。JRによって最大の利益は安全のはずだ」とコメントしていたのだが、「利益は安全」などとおかしな比喩を用いるのに違和感を覚えたし、たった数分の遅延で矢のようにクレームを浴びせる客への批判を欠くのは不公平ではないかとも感じた。遅延の原因は駆け込み乗車から飛び込み自殺まで、乗客の側にあることが少なくないのにも関わらず、乗務員や駅員は文句も言わずに「ご迷惑をお掛けいたしましたことを深くお詫び申し上げます」と米搗きバッタの如くに日々謝罪していることも、忘れるべきではない。
 
 この事故では、路線の保安設備の未整備や、「日勤教育」に代表される企業体質の問題も確かにあった。運転手の異常とも言える行動も明らかになっている。何より、私も大切な知人を一人失っている。1両目の一番へしゃげたところにいたそうで、事故の瞬間に彼が覚えたであろう恐怖や痛み苦しみを思えば、今でも身悶えするほどであり、だからJR西日本に対して思うところは多分にあるのである。だがしかし、なのである。
 
 我田引水を捩った「我田引鉄」ということばがある。「我が票田に鉄道を引く」の意で、本来は鉄道と政治の問題に関わる揶揄的表現であるが、乗客の利便性を高めるために行ったはずの直通運転も、「乗り換えが面倒」「いや、座れないから迷惑」などと我が身勝手な意見が飛び交えば、鉄道会社は一体どうすればよいと言うのだ。それこそ正に「我田引鉄」ではないか。
 
 関西では、古くは丹波橋をジャンクションとした近鉄と京阪の相互乗り入れや、南海から和歌山市を経て国鉄紀勢線に至る直通列車もあったようだが、いずれも昭和のうちに廃止されている。昔の時刻表を読み解くと、南海難波から新宮へ向かう客車の夜行までもがあって、平成の世にあっては到底考えられない、大いなる旅愁を誘う列車であった。北は稚内から南は鹿児島の枕崎まで、列車の直通はなくとも、線路は確かに一本でつながっているのだ。「この鉄路の彼方に見知らぬ街がある」と思いを馳せてみるのも悪くないと思うのだが、これも所詮、旅好きの繰り言であろうか。