虹のかなたに

たぶんぼやきがほとんどですm(__)m

第38回 待ち人来たらず

 残業帰りの23時台の地下鉄御堂筋線で、聞き捨てならぬ会話を耳にした。喋り方から察するに関東の人ではないかと思うが、大阪駅周辺の百貨店のインフレ状態に対する批判である。先週の10月25日に阪急百貨店の二期棟がオープンし、足掛け7年に亙って工事をしていた梅田阪急がやっとその全容を現したのであるが、鳴り物入りのオープンの割には全然混雑していないではないかというものである。沿線住民としてこれは初日に行っておかねばならぬということで休日というのに朝から家人と2人で出陣したのではあるが、確かに仰る通りで、入場整理をやっているものの入店は極めてスムーズで、覚悟していた待ち時間は皆無、身動きも自由自在であり、拍子抜けだったのは事実である。事実は事実だからそれを云々するのは構わないが、続けて何を言うかと思って聞き耳を立てると、「JR三越伊勢丹も売り上げは全然ダメ、梅田周辺の百貨店の売り場面積合計は、新宿周辺のそれを上回るというのに、売り上げは新宿のそれを大きく下回っているらしい。梅田の分際で新宿に対抗しようなんて不遜も甚だしい」という趣旨のことを、高歌放吟よろしく大音声(だいおんじょう)で語っているではないか。
 
 あのな、いつ誰が梅田を新宿に対抗させようなんて言うたんや。おのれ、天下の御堂筋線の車内でそこまで大阪を扱き下ろすからには相当な覚悟を持って乗ってきてんねやろな、と凄んでみようかと思ったが、実行に移せないのは、自分が紳士であるからか、はたまたただのヘタレである所以なのか。それにしても関東人のくせに、大阪の事情にえらい詳しいものである。
 
 そうした憤怒はさておき、大阪市内の各所で行われているこのような百貨店の新装と連動する形で、それと直結するターミナル駅の改装をやっている。綺麗で便利になるのは大変結構なのだが、一つ困っているのは、待ち合わせ場所の選定に難儀することである。定番とされてきたスポットが、次々にその姿を消しているのだ。
 
 件(くだん)の大阪駅にはかつて、「噴水小僧」という待ち合わせスポットがあった。中央口コンコースの北側付近、それこそJR三越伊勢丹ルクアのエントランスに取って代わられた場所である。新大阪駅の千成びょうたんと並んで、旅行者の待ち合わせ場所としてはあまりに有名なスポットだった。とりわけこの「噴水小僧」は、学生たちが連れ立って旅立つ際の集合場所として定番であり、かく申す私も、大学時代にサークルでどこかに行かんとするときには決まって、ここが集合場所として指定されたものである。定期の夜行列車がほぼ全廃となった今、このような大きな待ち合わせ場所は不要と判断されたのか、それとも新しい大阪駅には似つかわしくないと思われたのか、「噴水小僧」が再びその姿を現すことはなかった。新設された3階連絡橋口の上層部に「時空(とき)の広場」というのが設けられたが、1階に改札口があるのにわざわざ4階まで上がって待ち合わせる酔狂な客もそうはいるまい。聞けばこの「小僧」、1901年から大阪駅に鎮座していた年季物で、小僧を名乗りながら御年111歳の長寿なのだとか。今は弁天町の交通科学博物館の倉庫で眠っているらしい。
 
 南海難波駅の「ロケット広場」も著名な待ち合わせ場所で、ミナミに疎い我々北の人間にとっては、取り敢えずここに行けば何とかなるという、便利なスポットであった。北から地下鉄でやってきて、その後戎橋方面に行くのであれば、一旦ロケット広場に集まるというのは全く非効率な迂回に他ならないのであるが、かと言って他に分かりやすい集合場所もなく、それこそ戎橋当りでは人が多過ぎて待ち合わせにならず、迷っているうちに女子の人たちは良からぬ男子の人にナンパされてしまうという危険も孕むことから、遠回りであっても安全な「ロケット広場」がやはり選ばれるのであった。しかるに、高島屋の改装に伴い、いつしかロケットが撤去されてしまったのは誠に残念である。現在は「なんばガレリア」という名前になっているらしいが、そんな小洒落た名称が定着するはずもなく、私に言わせれば、ロケットがなくなった「ただの広場」である。きっとロケットは、遠い宇宙に向けて飛び立っていったのであろう。浪花の誇りとして記憶に止めたい。
 
 天王寺駅の「天女の像」は、既に跡形もなく、無粋な鉄骨が剝き出しのまま、相変わらず改装工事が続いているのだが、未だに待ち合わせの連絡で「天女の下」と指定してくる人がいて、天女様がおわしましたのははてさてどの位置だったかと途方に暮れる。ここで正しく待ち合わせを行おうと思えば、故意に遅刻して、皆が集まっている場所を探し当てるしかない。天王寺周辺も、キューズモールが完成し、あべのハルカスもその威容を現しつつあるが、これらの新装が完了した暁には、JRのコンコースにも再び、天女様が舞い降りてこられるのであろうか。
 
 という訳で、大阪市内の定番待ち合わせスポットで生き残っているのは、阪急梅田駅の「BIG MAN」だけになってしまった。ところが「BIG MANの前」と言われてもその範囲があまりに広くてアバウトであり、また若者たちでごった返す上に、電車の乗客や紀伊国屋書店の客の出入りが錯綜するため、待ち合わせ場所の体を全く為していない。携帯電話が普及していない時代には、全員定刻に集合しているにも拘わらず、連絡の取りようがなくてなかなか回り逢うことができないという、無限回廊の如き難攻不落の地であった。そんなことは、一度行ってみれば誰でも学習することであって、次からはもっとまともな集合場所を指定するものであるが、今なお、人の群れが絶えないところを見ると、やはり「梅田で待ち合わせと言えば、BIG MAN」なのだろう。
 
 間もなく忘年会シーズンを迎え、人との待ち合わせの機会も増えようが、こうした状況にあっては、例えば「地下鉄肥後橋駅の改札を出て右に3本目の柱のところ」とか、「JR京橋駅の北口のおけいはんの大広告の真下」とか、「梅田新道交差点の南西角のおっさんが多数寝転がっているベンチの前」とか、そうした具体的なピンポイントを指定しなければ、迷える子羊が街中のそこらじゅうに溢れ返ってしまうのではないかと、ただ憂慮は募るばかりである。