虹のかなたに

たぶんぼやきがほとんどですm(__)m

第35回 ひとりぐらし・ふたりぐらし

 若者なら誰しも、という訳でもないだろうが、例えば高校生が進学先を選ぶ際に、「地元から出る」ことありきで考える者は少なくないのではなかろうかと思う。「都会への憧れ」というのも多分にあるであろうが、それ以上に「一人暮らしをしたいから」という者はきっと多いはずである。
 
 一人暮らしは「自由を手にすること」であると同時に「自律という名の自己責任を負うこと」でもある。誰にも口喧しく言われないというのはすなわち、誰も口喧しく言ってくれる人がいないということ。教科書的なつまらないことを言うと、自らを律することができないのであれば、一人暮らしをすることは許されないのだ。
 
 私の勤務先の部下にかつて、中学校から大学院まで、一貫して女子校だったという徹頭徹尾のお嬢様がいた。具体的な家庭の事情を聞いた訳ではないので想像の域を出ないのだが、きっと、何重もの箱の中に入れられて、それは大切に育てられたのであろうと思う。しかし、こういう育てられ方をした人は得てして、「自由への希求」がマグマのように堆積し、どこかでそれが爆発するものである。彼女は、自宅から何の問題もなく通勤できるのに、わざわざ一人暮らしを始めた。こういう場合は会社からの補助はないので、新卒入社の薄給から、毎月の家賃を全額払っていた。そこまでしてでも手に入れたい「自由」であったのだろう。
 
 それはそれこそ「本人の自由」であるから、上司である私がとやかく口を挟む筋合いもないのだが、とにかく困ったのが、遅刻が多いことなのだ。定時になっても出勤してこないので、電話をしてみる。「もじもじぃ~」と、明らかに今この電話で起きましたという寝ぼけ声。「始業時刻を過ぎておりますが」と押し殺した声で言うと、やっと目が覚めて「す、すみません……」と消え入るような声。「すっぴんでええから30分以内に出社せよ」とだけ言って電話を切る。30分経って、髪の毛を振り乱しながら指示通りにすっぴんで出社し、「二度とこのようなことのないよう、社会人として気を引き締めてまいります」と反省の弁を語る。この形式的なやり取りがそれから2か月の間に三度繰り返された。「『仏の顔も三度まで』って諺、知ってるか?」と凄んだのが効いたのか、それを最後に遅刻はなくなったのだが、どんな対策を講じているのか問うたところ、「お母さんにモーニングコールをしてもらってます!」とな。「君さあ、一人暮らしする資格ないから、実家に帰れよ」と、力なく説諭するのが精一杯だった。
 
 と、尤もらしく部下に訓垂れを行う上司を装っていたのだが、自分の若かりし日を顧みるに、彼女を悪く言えた義理はなく、憚りながらカミングアウトすると、学生時代は朝が起きられないので悉く単位を落とし、就職してからも現業時代は深夜の帰宅、爆睡の後、午後からの出勤であるため、朝のゴミ出しができず、そのうちゴミ屋敷の如き様相を呈して、大枚を叩いて業者を呼び、家の掃除を頼んだことさえあるのだ。管理してくれる人がいなければダメになる者は確かに存在する。そんな始末であるから、「一刻も早く一人暮らしを止めよ。さもなくば早晩廃人と化す」との各方面からのご諫言を飲む形で、今こうして所帯を持っているのである。
 
 では、所帯を持つようになって、健全な生活を送っているかと言えばそうでもなく、家人もまた、家事というものがまあできない。仕事が大変で、帰宅が私より遅いこともしばしばであるから、疲れた体に鞭打って家のことをやれというのも無体とは思うので、それを責めたりもしないのであるが、結婚して以来、例えば彼女の作った料理を食したのはわずか5回であることを人に語るとさすがに驚かれる。しかし、できないものはできないのであるし、そういう能力を持ち合わせないのはお互い様であるから、仕方がないと諦念している。
 
 随分前の話だが、家人と付き合い始めて暫く経って、一応ご両親にご挨拶くらいはしておきましょうということで、彼女の実家の近くの居酒屋で対面したときのことである。まだ結婚という具体的なことを語る段階にはなかった(実際に年貢を納めたのはそれから5年後のことである)が、お母さんが突然、「この子は箱にだけは入れて育ててしまいましたので……」と仰った。その意味するところを理解したのは正に5年後であったのだが、結婚の直前に今度は「返品不可ですので」と言われ、最早引き返せぬところにまで来て、今に至る。
 
 勤務先に、私よりちょうど20歳上、来年には定年を迎える老壮の社員がいる。皆からは「爺」と呼ばれて慕われ、実際に休みの日は、孫と風呂に入るのが唯一の楽しみであるという。この方は、普段は植木等のような与太郎ぶりで、そのために出世や栄達といったこととは無縁に生きてきたのだが、ここぞというときには核心を突いた、あるいは含蓄に富んだことを仰り、それで窮地を切り抜けたことは数知れずである。その方があるとき、「『可愛い子には旅をさせよ』ではないんやけど、子どもは成長したら、家から叩き出して、一人暮らしさせなあかんのや」というようなことを仰った。娘さんの結婚が決まったとき、家のことが何一つできないことに思いを致し、嫁入りまでの1年間、自宅近くのアパートに一人住まわせ、自活させたそうなのだ。
 
 それを聞いて、愚妹がそうであったことを思い出した。実家にいた頃は「座敷童子」の異名を取るほど何もしない子で、少しでも油断すると、ソファーに横たわりあられもない姿で寝ているのである。だから、大学進学時に家を出ることに、当初母は相当な懸念を示したのであるが、「人間たるもの一度は家を出て一人で生きてみるべき」との父の意見もあって、一人暮らしを始めた。半年ほどして、母が、妹のマンションに突撃訪問を行ったところ、部屋は綺麗に清掃され、自炊も行っており、早朝からのパン屋でのアルバイトと学業とクラブ活動を見事に両立していて、大層驚いたという。その後、日本企業の現地法人に就職して単身中国に渡り、そこで知り合った男性(日本人)と結婚し、出産して、今は横浜で暮らしている。あの「座敷童子」が真っ当に主婦や母親をやっているというのだから、「爺」の仰る一人暮らし推奨説は、当を得ているのだろう。
 
 結局、人というものは必要に迫られなければこういうことはちゃんとできないのであろう。我が家もそれぞれが休みの日には、それぞれの分担を決めて、何とか家のことをこなしている。「一人暮らし×2」のような、どこかおかしな家庭ではあろうが、所詮不完全な者同士が住まいを一にしているのだから、互いに支え支えられて生きていく、それが「二人暮らし」の要諦であると、今更ながらに理解した次第である。