虹のかなたに

たぶんぼやきがほとんどですm(__)m

第29回 略語に関する浅い考察

 「大阪人は『いらち』だから、何でもことばを略したがる」と言われることがあるが、これには少しく異議を唱えたい。携帯電話を「ケータイ」と言うのも、あけましておめでとうございます今年もよろしくお願い申し上げますを「あけおめことよろ」と記すのも、ファミリーマートを「ファミマ」、セブンイレブンを「ブンブン」(これには「?」と思われる向きもあろうが、実際にそう言う人を見たことがある)と称するのも、木村拓哉を「キムタク」、高橋みなみを「タカミナ」、小嶋陽菜を「コジハル」、嵐寛寿郎を「アラカン」、榎本健一を「エノケン」、阪東妻三郎を「バンツマ」と呼ぶのも、いずれも全国区の話であって、大阪発祥であろうはずがない。「パソコン」や「ブログ」などは、最早原形が何であるかが解らぬほどに、来るところまで来てしまった。
 
 しかし、略語というのは一種の隠語のようなところがあって、一定のコミュニティの中で自然発生的に生じることが多い。だから、大阪オリジナルの略語は勿論あるのだが、別に大阪に限った話でもなくて、地域ごとに、その地域のみで通用する略語があるはずなのである。その好例が、「マクドナルド」に関わる「マック」「マクド」の東西2種の呼び方であろう。
 
 分けても地名は、公共性が高い分、それだけ共通言語として広く人口に膾炙されるので、略称もバラエティに富む。大阪では特に丁目の付く地名を略す傾向があり、天神橋筋六丁目を「天六」と言うのが恐らく最も有名で、谷町四丁目・六丁目・九丁目は「谷四・谷六・谷九」、上本町六丁目は「上六」、蒲生四丁目は「ガモ四」と略し、日本橋筋一丁目に至っては「日本一」という、何とも不遜な言い方をする。しかし、例えば長い駅名がこれでもかとばかりに連なる地下鉄谷町線において、これら以外に略称を聞いたことがない。「太子橋今市」「千林大宮」「関目高殿」「野江内代」「四天王寺前夕陽ヶ丘」「駒川中野」「喜連瓜破」と並べてみたが、どうだろう。聞くとすれば、「太子橋」「千林」「駒川」「喜連」などと、前半だけを取り出す言い方である。因みに、野江内代を「ノエチン」と略すことを提案したことがあるが、結局定着を見なかった。所詮そんなものである。
 
 かつて、阪急京都線に乗っていたとき、明らかにおかしな関西弁を操る大学生らしき男性2人が「ナンバラ」と連呼するのを耳にして、一体何を言っているのかと訝ったことがある。そのうち彼らは、南茨木で下車した。そう、「ナンバラ」とは「南茨木」のことだったのだ。疑義が生じたので早速茨木の土着民に問うてみたところ、「そんな呼び方聞いたことがない」とのこと。地元民以外が不用意に地名を略して称することは、何としても許されないのだ。
 
 その阪急電車では、長い駅名の行先表示を、字の大小で表現することがある。例えば「天神橋筋丁目」(「天」と「六」を大きく書く)のような例がそれである。これは「テンロク」と略すのだと分かるが、同様の手法で表現される「雲雀丘屋敷」(「雲」と「花」を大きく書く)は、どう発音するのだろう。「ヒバハナ」?「クモハナ」? いずれも耳にしたことがない。ある人が「あれは、『ヒー!ハー!』と読むのですよ」と教えてくれたことがあり、なるほどと思ったが、地元民に訳知り顔にそれを語ると、「ヒバリを馬鹿にするな」と大層叱られた。そうか、「ヒバリ」と略すのか。間違っているのは阪急である。
 
 余談ながら、「野田阪神」も長たらしいから略したいと思う人がいるかもしれないがそれはとんでもない間違いであって、もともとは「野田阪神電車前」、つまり「阪神電車野田駅の前」だったのが略されている、すなわち「野田阪神」が既に略称なのである。京都にも「三条京阪」というのがあってこれも成り立ちの経緯は同じであるが、もっと凄いのに「叡電前」がある。叡電というのは今の叡山電車のことであるが、これだけで元田中駅を表すというのだから恐れ入る次第である。
 
 地名のことばかり長々と挙げ連ねたが、こうした「略語コミュニティ」は、地域ばかりではなく、それぞれの世代においても形成されるものである。
 
 少し前、台風が近畿地方をも襲った日のことである。結果的には大阪では痛くも痒くもなかったのだが、暴風警報が発令されたこともあり、仕事の切りがついたら早く帰りましょうということになった。電車はまだ問題なく動いていたが、「もし止まったらどうする?」という話になった。すると、某国立大の大学院卒の部下(20歳代女性)がどや顔で一言、「たくればいいですやん」。
 
 一瞬、何のことかわからなかったが、程なく「タクる」、つまり「タクシーに乗る」の意味だと解した。なぜか悔しくなって、「あのな、阪神・淡路大震災て知ってるか? 生まれてたけど小っちゃ過ぎて知らんやて? ほな言うて聞かしたろ。災害時において、流しのタクシーなんか捕まる訳あるかいな。ましてや大地震てのはな、道路も寸断されて、およそ車がまともに通れる状況やあらへんのや。あのときは皆、大阪から神戸まで、歩いたんやで。君住んでんの、天王寺やろ? 上町断層の真下やないかい。いざっちゅうときには自分の足しか頼れる移動手段はないんや。若いねんから、本町から天王寺くらい、いつでも歩けるように訓練しとかんかい」と大人気なく説教に及んでしまった。
 
 こういう略語の類は、意味は分かるのだが使う気にならないのであって、これが世代を超えてその略語が浸透しない所以であろう。それに、若者はいつまでも若者ではないのであって、その意味において「若者言葉」は実に刹那的である。今の若者に「マブい」とか「チョベリバ」などと語って、意味を解してもらえる訳がないのだが、にも拘わらず、かつて、「あのおねーちゃん、マブいやんけ」などと高笑いして語る上司に辟易したことがある。
 
 埒外のコミュニティに与することの何たるかを理解せねばなるまい。されど、それを習得することによって、その地域なり、世代なりのコミュニティへの真の意味での参画が許可されるのだろうと思う。そこまで頑張る必要があるのかどうかはさて措いての話であるが。