虹のかなたに

たぶんぼやきがほとんどですm(__)m

第30回 紫煙哀歌

 勤務先のビルには共用の喫煙ルームがある。愛煙家には誠にありがたい施設ではあるが、如何せん、換気扇以外の空調設備は一切備わっていないので、この時期は正に灼熱地獄である。異様なまでに人の目を気にする私は、仕事を疎かにしているように見られるのが嫌なので、定時の勤務時間内は2時間に1度しか行かない(その代わり2~3本まとめて吸う)し、最低でもその時間分は残業をして帳尻を合わせているのだが、重篤なニコチン中毒の人は20~30分に一度は席を立つようで、汗だくになり、サボりのレッテルを張られてまでも命懸けで命を縮める行為に及ぶのは、ある意味見上げた根性である。
 
 さりとて私は、明確な意思を以て、たばこをやめようとは思わない。1年半ほど前、たばこの値段が一気に上げられたとき、これを契機として禁煙に及んだ御仁も多かったようであるが、周囲がどうであれ、そしてパッケージに如何なる脅迫文言が並べられようと、決して怯んだりなどしない。
 
 ただ、嫌煙者に副流煙の吸引を強制しようとはつゆも思わないのであって、禁煙と言われれば辛抱できるし、喫煙可の場所であっても、周りの空気を読んで遠慮するくらいの心得は持ち合わせている。自身も、例えば新幹線の喫煙車などは、開眼も困難なほど車内が白く霞み、また、服に臭いがつくのも嫌なので、必ず回避し、「喫煙ルームの近くの禁煙車」を押さえるのが常である。自宅でも、家人は嫌煙者であるから、もとより室内では喫煙しないが、ベランダに出て吸う、いわゆる「ホタル族」の行為も、煙が隣戸に流れて室内に入ったり洗濯物を汚したりするといったリスクくらいは想像できるので、洗面所の換気扇の下が我が家の喫煙所になっている。
 
 喫煙者としては、何としても社会の完全な分煙化を推進してほしいと強く望むところであるが、それにも限界があるのは十分承知している。たとえホームの果ての屋根のない場所であっても、喫煙コーナーさえ設けていただけるのであればありがたいことだと思っていたが、空気の遮断をしない以上、煙はやはりそれを嫌う人の許へも流れるのであって、然らば即ち構内全面禁煙化というのは致し方のないことだと思う。繰り返すが、人に嫌がられてまで、公共の場で強いて喫煙したいとはさすがに思わないのであって、その意味で、最近、東京にできた「有料喫煙所」というのは実に画期的なことだと期待を寄せている。願わくば、我が関西にも店舗の展開をと考える。
 
 喫煙者が社会において糾弾される、それは甘受せねばなるまいとは思っている。吸ってはいけない場所で吸っている人を見ると、喫煙者ながら許せないとも思う。「お前らのような奴らがいてるから、ワシら真っ当な喫煙者までもが責められるんじゃ」と怒りも沸くのである。ただ、禁煙ファシズムが嵩じて、その指弾の対象にされるのがあまりに気の毒な人たちがいる。その最たるものが、「たばこ屋」である。
 
 子どもの頃、家の近所にたばこ屋があった。「たばこ」「塩」の看板を掲げた、これぞ「純・たばこ屋」たる趣であった。 そして「純・たばこ屋」になくてはならない存在、座布団にちょこなんと座るおばあちゃんは、そこにもちゃんといたのだった。
 
 身内でも何でもなく、しかも大阪から引っ越してきた余所者なのに、ウチの母親が子どもを置いて出掛けるとき、決まってそのたばこ屋に預けていくのだった。当時は両親とも喫煙者だったので、面識があったのだろう。だだっ広い部屋には亡くなったおじいちゃんの遺影があった。おばあちゃんは一人で淋しくないんかなあと、子ども心に思ったものである。
 
 まだ「日本専売公社」なるものが存在した時代である。たばこを売っているところでは必ず塩も置いていたが、そこでは切手やはがきも扱っていた。「年賀状は予約しないと買えないもの」と思い込んでいた小学生時代、10月に「おばあちゃん、年賀状10枚予約な」と伝え、「はいはい」と答えるおばあちゃん。メモも取らずにすげえ記憶力やなあと思いながら2ヶ月後、200円(当時はがきは1枚20円)を握り締めてたばこ屋に行ったら、おばあちゃんにえらい剣幕で「あんた、早う買いに来んから他の人に売ってしもうたわ!」と叱られた。号泣しながら帰宅し、それきりたばこ屋には行かなくなった。
 
 あれから30年余の歳月が流れ、おばあちゃんは恐らくおじいちゃんのところへ行ってしまったのであろうが、長じて喫煙者になった私は、「たばこ屋」というところでたばこを購入したことがない。探せばどこかにまだあるのかもしれないが、タスポを紛失してからというもの、買うのは専らコンビニか駅の売店である。 そういう人は結構多いようで、コンビニのたばこの売り上げが伸びる一方で、昔ながらのたばこ屋はどんどんその数を減らしているそうだ。
 
 時代の流れとは申せ、国家による民業圧迫の犠牲になった「純・たばこ屋」は少なくあるまいと思う。「お前らがたばこなんぞ売ってるから、ヤンキーどもが白昼堂々とたばこを蒸すんじゃ」と筋違いの文句を言われることもあると言う。喫煙者には肩身の狭い時世であるが、もっと肩身を狭くするたばこ屋のおばあちゃんたちを思うと、胸が潰れそうでならない。
 
 「大阪でそんなことやったら商売上がったりですわ」と豪語していたはずの大阪のタクシーも全面禁煙に踏み切った。関西の私鉄も、今や軒並みホームから喫煙コーナーが消えた。そういう時代である。そういう時代ではあるのだが、時代に取り残されて哀しみに暮れる市井の人がいることにも、思いを致してほしいと思う。