虹のかなたに

たぶんぼやきがほとんどですm(__)m

第95回 「お疲れさま」を巡って

 社を挙げての大きなイベントがあって、昨日まで3日連続、毎朝5時に起床していた。会場ではずっと走り回ったり大声を上げて回ったりで、さすがに最終日の3日目は立ったまま意識を失うことができるほどに疲労の極致に達して、今日は普通に出勤の家人に叩き起こされる形で一旦目覚めたものの、本気の二度寝を実践して、正式な起床に及んだのは西陽が差さんとする16時半である。よくまあ眠れるものよと我ながら感心するが、そんな私は今日から夏期休暇だ。
 
 そのイベントで、撤収作業に最後まで立ち合い、全スタッフを見送ったのは我が上司である部長である。汗臭さ全開の体を引き摺って会場を後にするスタッフたちの個々に、「お疲れー!」と声を掛けられる姿には、べんちゃらでも追従でもない真の敬意を表するばかりで、次席の私も負けじと「お疲れさまでしたー!」「ありがとうー!」と絶叫してみた。
 
 大きな仕事を終えて、互いを労い合う言葉に「お疲れさま」は実に似つかわしく、他にしっくりくる表現は見当たらない。しかるにその「お疲れさま」が、最近、物議を醸していた。7月26日放送の『ヨルタモリ』での、「お疲れさま」に関するタモリの発言である。曰く、「撮影現場などで子役がやたらと『お疲れさまです』と挨拶するようになっている」「子役が相手を選ばず『お疲れさまです』を使うのはおかしい」「『お疲れさま』というのは、元来、目上の者が目下の者にいう言葉。これをわかっていない」「民放連は各メディアに『子役には“お疲れさまです”という挨拶をさせない』という申し入れをすべき」と。
 
 赤塚不二夫の葬儀での、勧進帳さながらの弔辞に感動し、『タモリ倶楽部』や『ブラタモリ』などで開陳されるマニアックな薀蓄の数々に舌を巻いてきた私は、そのタモリが何を言い出すのかと、少しく狼狽した。「ご苦労さまでした」を目上の者に言ってはならない、使うなら「お疲れさまでした」である――と信じて疑わない人は少なくないはずだ。タモリの言説が一つの“常識”として存在することは私も知っている。しかし、「ご苦労さま」も「お疲れさま」も使っては失礼だというのなら、一体どう言えばよいのだろうか。
 
 勤務先での実例であるが、面談に来られたお客様がお帰りになる際、その店舗のマネージャーが「お疲れさまでした」と言ったのに吃驚したことがある。「顧客に『お疲れさま』はおかしいのではないか」と指摘したのだが、彼は、「あのね、目上の人に『ご苦労さまです』と言ったら失礼に当たるのですよ」とドヤ顔で抗弁してくる。「そんなことくらい知っとるがな。俺は、客に『お疲れさまです』と言うのがおかしいって言うとんねん」と返したが、「ほな、どない言うたらいいんですか」と訊かれ、言葉に窮したのだ。暫く、代替の表現を考え続けたのだが、どうしても適語が思いつかない。悶々としているうちに、別の店舗で、「あっ、これや」と得心のゆく表現に行き当たった。すなわち、「ありがとうございました」である。

 ところで、「お疲れさま」に関連する違和感としてもう一つ取り上げたいのは、「お元気さま」という表現である。「お疲れさまです」では「疲れる」というネガティブなワードが含まれるので、「元気」というポジティブワードに置き換えているのだとか。世間一般にどれくらい浸透しているのかは知らないが、稲森和夫氏が京セラグループ内でこれを徹底させたのだそうで、「京セラフィロソフィー」の薫陶を受けている数々の企業で広まりつつあるのではないかと思う。現に、私の勤務先でも一部の社員が好んで用いているが、ことばには人一倍煩い性分が災いしてか、ビジネスの世界で跋扈する「人財(人材)、志事(仕事)」などの当て字と同様、こういう一般的でない表現を用いられることに、私はどうしてもアレルギーが生じるのだ。
 
 「お(ご)~さまです」という表現にはどんなものがあるのかを考えてみてほしい。「お疲れさま」「ご苦労さま」「ご愁傷さま」「お気の毒さま」等々、全部ネガティブワードではないか。「ご馳走さま」もの「馳走」も本来は「奔走」と同義で、客人をもてなすために走り回ったことを意味する。つまり、「お(ご)」という丁寧の接頭辞に加え、「さま」という敬意を含む接尾辞をつけることで、相手を労い、ネガティブなニュアンスを相殺する意味というか思いが、この「お(ご)~さま」には込められていると考えるのである。
 
 とすれば、「お元気」にわざわざ「さま」という労いの意を添えることは無用であるばかりか全くナンセンスなことで、むしろ、「お疲れさま」という表現にネガティブなニュアンスを含むなどと云々することは、言い掛かりやイチャモンの類ということにさえなる。折角の労い、すなわちネガティブをポジティブに変換した心遣いを蹂躙するものである、とまで述べると言い過ぎか。
 
 それはさて措き、ネット上をあれこれと検索してみても、「お疲れさま」については揺れているようだが、大切なのは、話し手にも聞き手にも違和感がなく、気持ちがこもっていることではないかと思う。格の上下に関わらず、朝っぱらとか休みの日に「お疲れさまです」というメールが来れば気持ち悪いし、その気持ち悪さを感じないままに使っていること、換言すれば、杓子定規の“常識”にとらわれ、思いのこもらぬ言葉を用いていることこそがどうかしているのである。タモリの発言も、子役が一丁前に「お疲れさまです」なんて言葉を使うことに違和感を覚えて、というのが真相であると信じたい。