虹のかなたに

たぶんぼやきがほとんどですm(__)m

第94回 ホテルで会ってホテルで別れる

 過日、藤原竜也主演の『ハムレット』を観に梅田芸術劇場へ行ったときのことである。「梅田」を名乗るものの、地下鉄で行くなら御堂筋線の中津で降りる方が近いので、そのようにしたのだが、最寄りの4号出口を出て、地上の様子がおかしいことに気付いた。どうも空が広いのである。振り返ってみると、そこに聳えていたはずのビルがない。ここに建っていた三井生命ビルが、いつの間にか解体されていたのだ。
 
 このビルの上層階には「三井アーバンホテル大阪」があって、地下鉄の車内放送でも、長らく「三井アーバンホテル大阪、大学受験の河合塾大阪校へお越しの方は、次でお降りください」と流れていたから、記憶にある方も多いだろう。
 
 話は今から四半世紀近く前、大学受験のときまで遡る。大阪の池田にあった某国立大学(今は柏原の辺鄙な山の上に移転)を受験するために、入試の前々日に家を出た。当時は岡山に住んでいたのだが、当日7時前の新幹線に乗れば、試験開始時刻には十分間に合うし、そもそも大阪の出身である上、池田には親戚もいて何度も足を運んでいるので、迷う方もないのであるが、「試験当日と同じ時刻に出て、当日と同じ電車に乗り、試験会場まで下見に行ってみることは欠かせない」などと記された受験情報誌と、JTBの受験生パックのパンフレットを親に見せて言い包め、“2泊3日の受験旅行”にいそいそと出掛けたのである。下見が終われば後は自由、試験も午前中に終わってやっぱり自由、そんな旅行感覚で受験になど行くから、第1志望の大学にも関わらず落ちてしまったのだが。
 
 新大阪駅に降り立ち、地下鉄に乗り換えて2駅、中津の駅に直結しているそのホテルこそ、「三井アーバンホテル大阪」であった。件の地下鉄の車内放送で名前はさんざん聞いていたから、宿泊先は迷わずここに決めた。コンコースから直結の通路を通ってホテルのロビーへ向かい、緊張しながらフロントにクーポンを差し出してチェックインする。渡されたルームキーに示されたのは14階の部屋。そこそこ高層階だし、さぞかし眺めはよかろうと思って部屋に入ると、窓に映るのはビル内部の吹き抜けばかりで、向かいの部屋が丸見えである。後に分かったことだが、このホテルはロの字状の造りになっていて、シングルルームは全てその内側に配置されているのであった。これには少々がっかりした。
 
 さて、宿泊の予約はパックで行ったものだから、朝夕の食事は込みである。ここで一つ難題が発生する。以前にも記したが、私は一人で外食するのがひどく苦手なのである。と言うより、それまでに一人飯など経験したことがないのだ。チェックイン時に渡された食事券を握り締め、最上階のレストランへ向かう。席に案内されたはよいが、メニューを持ってくる訳でなし、注文を取りにくる訳でなし、どうしてよいのか分からぬままじっと耐えていたら、そのうちウエイターがスープを持ってきた。どうやらコース料理のようである。勝手が分からず、ただ出されるものを出されるがままに口へと運び続けるのだが、今度は何を以て終了とするのかが分からない。デザートらしきものが出てきて、逡巡の末、きっとこれで終わりだろうと判断、席を立った。パックだから当然精算はないのだが、そのまま黙って店から出てよいのかどうかも分からず、おろおろしているうちに「ありがとうございました」と言われたので、安堵と解放感で、逃げるようにして部屋へ戻った。お分かりと思うが、最後のコーヒーを飲まないまま席を立っている。
 
 そんなほろ苦い思い出の“初ホテル”であったが、それだけに思い入れもあって、地下鉄に乗る度に車内放送を聞いては自嘲気味に嗤い、社会人になってからも、深夜に及ぶ残業が続いて帰宅が面倒臭くなったときには、格安プランで何度かお世話になった。後に、経営母体が変わったのか、「コムズホテル大阪」と名を改めたが、それ以降も、あのときのレストランでランチバイクングをやっていて、“プチ贅沢”と称して、家人とよく行ったものである。
 
 そんな思い出のホテルが、いつの間にか跡形もなくなくなっていた。隣にあった、ライバルの東洋ホテル(こちらも後に名を改め、「ラマダホテル」となった)も、同じように閉館になったという。格安のビジネスホテルに押されてしまったのか、はたまた中津というロケーションが災いしたのか、真相は分からないが、思い出のスポットがまた一つ、記憶の彼方へと消えゆくことは、そこはかとなく哀しい。三井生命ビルの跡地にはタワーマンションが建つそうであるが、それを見る度に、私にとってのランドマークタワーの幻影を見出すことであろう。