虹のかなたに

たぶんぼやきがほとんどですm(__)m

第103回 入院回顧録(一)

 1月末から昨日まで3週間余り、入院していた。病名は心不全である。
 
 11月の中ごろ、逆流性食道炎を患い、近所の消化器内科に通院していた。胃カメラ検査も行い、薬を飲み続けていたが、一向に良くならない。再診の度に薬を一つずつ増やされては「これで暫く様子を見ましょう」と言われるのだが、咳が日に日に酷くなるし、前に屈むだけで胃酸が逆流してくる感じがしてとにかく辛い。そのうち、食欲の減退と反比例してなぜか体重が増え続け、夜も眠れぬほどに呼吸が苦しくなってきたので、これはおかしいと思い、別の内科を受診したら、レントゲンを見て医師が一言、「心不全や。紹介状を書くけど、すぐ入院やで」。心臓の大きさが通常の2倍以上に肥大していた。受診が終わったらその足で出勤するつもりだったから、スーツ姿のまま、区内の大きな病院へ急患として搬送され、そのまま入院と相成った。
 
 咳にしても体重増にしても呼吸の苦しさにしても、逆流性食道炎が原因と思っていた諸々の症状は全て心不全が原因で、酸素吸入と点滴によって、それらの症状は1週間ほどで収まった。特に、体内に溜まっていた水は大量で、食事制限の効果もあったのだろうが、強い利尿剤を投与したことで、その1週間で一気に10kgほど減ったのには驚いた。心電図も含め、体中にいろんなチューブや線が四六時中つながっているので、行動の自由は制限され、用を足すにも、小水であればベッド横に置かれた尿瓶に溜め、大便であればナースコールして車椅子でトイレまで連れて行ってもらう。なかなかに恥ずかしいことではあった。
 
 それにしても、看護師がそういったことを嫌がらずにやるのは、仕事だから当然とは言え、流石やなぁと感心する。私の場合は、用を足すこと自体は自分でできるのでまだよいが、介護を要するお年寄りであれば、下の処理もこなさなくてはならない。誰が名付けたのか「白衣の天使」なんて呼ぶのであるが、こちとら病身にあっては心も弱るのであって、優しく接してくれる看護師は、確かに「天使」の如くに映る。その仕事内容を鑑みるとき、何と尊い職業だろうかと思うし、相応の待遇を受けるべきだとも考える。我儘言い放題のお年寄りたちを御している様子を見るに、せめて、少なくともこの病棟内において最若年であろう私は、決して看護師さんたちの余計な手を煩わせることなく、良い子にして過ごそうと心に決めた。
 
 そんな“若年”の私に、更に若年であろう看護師の殆どは敬語で話をしてくれたのだが、何人か、他のお年寄りに対するのと同様に、「大丈夫?」「ごめんね」などとあやすような口調で物を言ってくる人がいて、これが少し気に障った。「自分は年寄りとは違う」という下らないプライドがそういう感情にさせているのだろうが、しかし、相手の立場や状況がどうであれ、年長者には敬意を持って接するのが長幼の序というものだろうし、だとすれば本来、お年寄りにだって敬語で話すのがあるべき姿なのではないだろうか。
 
 そんなことを病臥の徒然に考えていたある日、看護学生の実習が始まった。同室の、73歳になる爺さんのもとにも、一人の女子学生が指導教員に付き添われてやってきた。緊張に声を震わせながら、如何にも定型句と思しき挨拶をするのがカーテン越しに聞こえてくる。しかし、爺さんは何も言わない。肺炎を患って入院しているこの爺さん、病気自体はとっくに完治しているらしいが、動くのを厭い、リハビリにも応じない上に、看護師が「そんなんやったらトイレも行かれへんから、お家に帰られへんやないの!」と叱っても、家族との折り合いが悪いのか、「帰りたない……」と憤(むずか)る始末であるから、学生さんにはなかなかの試練だろうな、と思った。
 
 しかし学生は、爺さんのところに日参しては、優しく、そして地道に声を掛け続ける。爺さんは決して応答しないので、どこまでも一方的ではあるのだが、他愛もない話題の中に、「おトイレ行ってみますか?」「車椅子に乗ってみますか?」「お風呂に入ってみますか?」などと織り交ぜてみる。当たり前だが敬語である。爺さんはどこまでもだんまりを決め込んだままだが、無理強いすることなく、感情的になることもなく、爺さんの無言を“返事”のように受け止め、「じゃあ明日は一緒に頑張ってみましょうね」などと“会話”を続けている。そして、おむつを替え、体を拭き、下の処置をやっている。その献身的な看護の様子に、私はただただ、胸を熱くするばかりだった。
 
 それから暫く経った日、爺さんの奥さんがやってきた。「腹が減るからパン買うてきてくれ」などと指図しているが、「出されたもん、ちゃんと食べや!」とかわしている。何や爺さん、ちゃんと声を出せるやないか、と心の中でツッコんでいたら、学生がやってきて、一瞬、体を硬直させた。「お、奥さまでいらっしゃいますか?」と声を上ずらせる様子は、さながら、愛人が本妻に出くわして狼狽しているような雰囲気であった。学生の挨拶を受け、奥さんは、日頃夫が世話になっていることの謝辞や、夫の家での普段の様子、自分はかつてこの病院で清掃職員として働いていたことなど、フランクに語った。その鷹揚な人柄に、学生はすっかり魅せられた様子で、爺さんそっちのけで会話を弾ませている。そして、帰り際に奥さんが「手のかかる人やけど、頑張って、良い看護師になってや」と声を掛けたときには、少し涙ぐんでいるようだった。
 
 爺さんは、妻と学生のやり取りに思うところがあったのか、その明くる日、「明日、一緒にお散歩に行きませんか?」といつものように声を掛けられると、遂に「うん」と答えた。学生は「本当ですか!? ありがとうございます! 絶対ですよ、約束ですよ!!」と、喜びを抑えることができない様子だ。次の日、爺さんはちゃんと約束を守り、学生と一緒に、車椅子での病院内散歩に出掛けた。30分ほどして病室に戻ってきて、爺さんをベッドに寝かせた後、学生は何度も何度も、「ありがとうございました」と繰り返していた。そして夕方、「今日はありがとうございました。明日また来ますね」と言って帰ろうとした学生に、爺さんは「お疲れさん」と声を掛けた。学生は「うわぁ……」と言って顔を押さえた。ナースの卵たる者が、これしきのことで感情を揺さ振られ、泣いているようではいけないのだろうが、私は彼女にすっかり感情移入し、カーテンのこちら側で貰い泣きしてしまった。
 
 その翌日から、学生の爺さんへの話し方が少し砕け、軽いタメ口になった。しかし、そこに不遜な感じは微塵もなく、それが至極当然であるようにさえ感じられた。これは学生さんが爺さんとの間に築いた信頼関係の賜物であろう。大いに自信を持ち、勲章にすればよいと思う。直接には何も享受していない私だが、この学生の姿を見ることが、自身の退院に向けての励みにもなった。日々の仕事に追われる看護師たちの眼に、彼女の甲斐甲斐しい姿は一体どのように映っているのであろうか。
 
 学生の介助を受けながら、爺さんは自分で口を濯いだり、浴室やトイレに行ったりするようになった。看護師や理学療法士の言うことは聞かないなど、相変わらずなところはある爺さんだが、ご家族やケアマネージャーを交えての退院後の相談も進み始めたようだ。私は先に退院したが、実習中にこの爺さんが退院できることを、この学生さんの成長のために、願いたい。