虹のかなたに

たぶんぼやきがほとんどですm(__)m

第80回 さよならのこちら側

 往年の名優、沢村貞子は、立ち上がるときに「どっこいしょ」と言った自分に衰えを覚え、女優引退を決意したのだという。方や、座るときに「よいしょっ」と言ってしまう私は、自らの去り際を見出すこともできず、死に後れた老兵よろしく、怠惰の日々を重ねている。
 
 最早、自身の年中行事と化してしまったので、周囲には「今年もまたか」と呆れられるのであるが、この時期、去りゆく仲間たちの門出を見送っては、正に死に後れた老兵のような思いに駆られ、鬱屈した気持ちになるのでよろしくない。いや、彼らは戦場に散っていった訳では勿論なく、むしろ次のステージに向かって力強く羽ばたいていくのであるが、別れの哀しみや淋しさを覚えるとともに、戦場に取り残された不安や、のうのうと居座り永らえているのが正しいのかという逡巡に、どうしても苛まれるのである。
 
 例えば、定年退職でご勇退した御大。名実ともに「老兵」であったし、「まあええがな」「細かいことをやいやい言うな」「どないかなる」が口癖の、植木等を彷彿とさせる与太郎であったが、この方に窮地を救っていただいたことは数知れず、御大一人の存在を失うだけで、私は明日からどうやって切り盛りしてゆけばよいのかと、途方に暮れるばかりである。
 
 与太郎なのは無論仮の姿で、判断力、先見力は燻し銀の如く研ぎ澄まされたものを持っていた。とにかく、嘘や曖昧な答弁は即座に見抜くのである。出世や栄達に全く頓着のないこの方は大層な遅咲きで、私が事業部門の管理職に着任したとき、私より20歳上にもかかわらずまだ平社員であったのだが、飲み会の席で、「お前は虚勢ばかり張って、ビジョンというものを全然持っていない」とこっ酷く叱られたことがある。与太郎が突然何を言い出すのかと周章狼狽するばかりで、二の句がつなげなかった。この上ない無力感に苛まれた。
 
 あれから9年が経ち、ビジョンを持たない男がビジョンを描き、何とか部門を守り続けられてきたのは、この御大の教えと支えがあったおかげなのである。面倒臭い仕事、ややこしい揉め事の解決も厭わずやってくれ、その度に救われた。ポジションを下りたいと相談したこともあるが、「お前なら大丈夫」、そして「どないかなる」といつもの調子で宥められた。でも、その「どないかなる」を聞くことは、もうできない。あなたがいなくなったこれからが私の正念場なのですよ。ホンマに「どないかなる」んかなぁ……。
 
 一方で、自分の後進が去ってゆくのを見るのも辛いものである。かつて、新卒内定者育成の責任者をやっていたことがあって、一流と呼ばれる大企業に較べれば大した数ではないかもしれないが、それでも4年間で送り出した数は120名ほどに上った。新卒採用という「社会への入口」に立つ私は、学生と社会人の違いを叩き込みながらも、できるだけ希望を持たせて現業に出したい、その思いで彼らや彼女たちに接してきた。だが、今も残っている者は半分にも満たない。確かに、理想と現実は往々にして違うものである。社会の厳しさに堪えかねた者もいたことだろう。しかし、去っていった若者たちの数を思うとき、そして、去っていくときの憔悴した表情を見るとき、彼らや彼女たちに「こんなはずではなかった」と思わせた責任の一端を感じずにはおれない。
 
 「研修のお兄さん」として、それなりに慕われてきたつもりである。人材育成部門から、今の事業部門に異動になるとき、“最後の教え子”たちは、寄せ書きを認(したた)めてくれ、入社式の末席で見守っていた私を見つけて、胴上げまでしてくれた。この会社でやってきた仕事には、「使命感」で取り組んだことと、「やり甲斐」を感じながらやってきたこととがあるが、人を育てる仕事は圧倒的に後者であった。だのに、その“教え子”たちの多くは、私に何も言わないで去ってゆく。私は「去る者は追わず」が主義なので、辞意を伝えられても、余程のことがない限り慰留はしない。でも、話くらい聞いてやりたいとは思う。合わせる顔がないのか、はたまた、慕われてきたというのは手前勝手な思い込みだったのか。
 
 そんな私も、あるとき、自らの能力に限界を感じ、一度辞表を提出したことがある。転職活動もしていて、名のある企業の一次選考まで通過した。上司には慰留され、他の部門の部長まで出てきて「早まってはいけない」と説き伏せられた。「人から必要とされる」実感だけが、自分の仕事をする上での動機であるから、こうしていろんな人に話をしてもらえるのはありがたかったが、最終的に思い止まる決意をしたきっかけは、他ならぬ、既に退職していた“教え子”から「辞めないでください」と言われたことであった。辞めた子から「辞めるな」と言われるのも何だか滑稽な感じがするが、逆にだからこそ、真に迫って自分の心に響いたのかもしれない。
 
 今年は特に、例年にも増して多くの盟友が去ってゆく。送別会も方々で企画され、そのいずれにも万障を繰り合わせて出席するつもりであるが、行くごとに陰鬱の度を深めるのではないかと、今から憂慮されてならない。旅立ってゆく先すら見出せない私は、溢れる哀しみや淋しさを押し殺しながら、彼らを見送るばかりであるが、それでもいつぞやの“教え子”の「辞めないでください」を心の支えとして、頑張れるところまで頑張ってみようと思う。こちらの「よいしょっ」は、立ち上がるときではなく、座るときですからね。