虹のかなたに

たぶんぼやきがほとんどですm(__)m

第67回 防人の詩

 大阪の京橋駅周辺では、昼夜を問わず、見知らぬ人に声を掛けて回る人間がそこかしこに蠢いている。ティッシュの配付や何かのアンケートを行う人間は、JRから京阪電車までのあの僅か数10メートルの間に複数立っているし、「献血にご協力をお願いしまーす!」と通行人に向かってマイクで呼び掛け続ける声は、一日中響き渡っている。ナンパも、ある意味戎橋以上ではと思えるしつこさで、この間は、気安く肩に手をかけた男がお姉ちゃんに「汚いねん触んなや!」とけんもほろろに罵られる姿を見た。それでもめげずに次のターゲットに向かって猪突猛進する様は、涙ぐましくさえある。
 
 そんな京橋界隈に最近、時々立っているのは、自衛隊の勧誘である。キャバクラやガールズバーの客引きを昼日中からやっている派手な男や女たちの中で、無骨な男たちが迷彩服姿でビラ撒きをやっているのは、どう見ても異様であるし、声を掛けている相手は男女を問わないが、いずれも、そんな奴に声を掛けてどうするのだろうかと訝ってしまうような、およそ国を守ろうという気概は微塵も感じられない軟弱者ばかりである。昔は「兄ちゃん、ええ体してるなあ!」が自衛隊勧誘の常套句だったと実しやかに言われたものだから隔世の感があるのだが、無論、相手はそんなことに興味の欠片もない人たちなので、一瞥もなく通り過ぎられるだけである。そういう様子を見ていて、思い出す一つのことがある。
 
 高校のとき、同級生に、「ひとりで何もできないもん」という男がいた。昼休みになれば、こちらは弁当持参であっても「食堂行って一緒にご飯食べよ♪」と誘ってくるし、休み時間になると、こちらの尿意の有無に関わらず「一緒にトイレ行こ♪」と声を掛けてくるような感じだ。剰(あまつさ)え便意を催すや、「付いてきて♪」と訴えてきて個室の前で待たせようとするのである。小学生ではあるまいし、学校で大便に及んだからといって虐めの対象になる訳もないのだが、高校生にもなってひとりでうんちにも行けないとは何という不甲斐なさであろうか。ぶりぶりと響く音の前でただ突っ立っているこちらの間抜けさにも思いを致してほしいところであるが、当の本人は我関せず、他のクラスメートから「ご苦労さまです……」と労われるのがせめてもの慰みであった。
 
 そして、進路選びに際して「東京ありき」であった彼は、頼みもしないのに首都圏のさまざまな大学の願書を取り寄せては「一緒に行こ♪」と迫ってくるのだ。彼女もいたイケメンかつスポーツマンの彼が、何故ここまで執拗に言い寄ってくるのかは今以て分からないのだが、「東京に行ってしまえば人間が腐る」と思い込んでいた当時の私に“上京物語”など端から頭になく、言葉を尽くしてその意思がないことを説明した。しかしそれしきのことで矛を収める彼ではない。ある日、何を思ったか、「防衛大学校に行こ♪」と言ってきたのである。一体何が悲しくて、自分の希望の進路を180度曲げ、この軟弱男と一緒に国防への道を歩まねばならないのだ。それに一人で上京もできない男が国を守るなんてできようはずもない。お前は阿呆かと厳しく叱責したのであるが、「うわーん、じゃあせめて、願書取りに行くくらい付いてきてやー」とむずかるので、しょうがない奴やのうとぼやきながら、県庁にある自衛隊事務所へ、しぶしぶと足を運んだ。
 
 私は関係がないので廊下で待つことにしたのだが、中から如何にもという感じの職員が出てきて、「お兄ちゃんも中に入り!」と凄まれる。おずおずと入室すると、奥の応接室に通され、お茶まで出された。そこにはヌードカレンダーが掛けられ、「男の職場」であることを実感する。そして入学案内を差し出され、1ページずつ捲りながら、授業料は免除だとか衣食住は国費で賄われるだとか、極めて丹念に、そして「これ以上の親孝行があろうか」と猛烈な迫力で、その魅力を力説される。私はただただ圧倒されていたのだが、横を向くと、軟弱男は半ば涙目になっているではないか。戦車だの艦艇だの戦闘機だのと生々しい訓練の様子を聞かされ、完全に怖気づいているのである。お前は一体、何を思って防衛大学校を志そうとしたというのだ。それを察したのか、厳つい面構えの職員は、「ここを出たからといって全員が自衛官になる訳ではない。だから気軽な気持ちで受けてくれ給え!」と言葉を添えたのだが、幹部自衛官を養成する場がそんな軽いスタンスでよいかと、椅子から転げ落ちそうになった。
 
 約1時間の軟禁の末、やっと解放されたのだが、安堵の表情は軟弱男の方が数段勝っていた。「我々は所詮モラトリアムだから、あれこれ自分の進路を迷えばいいのだろうけれど、ここまで右へ左へとぶれるのもどうやろか。君には漠然とでも将来のビジョンというものがあるんか?」と問うたら絶句してしまった。それ以来、トイレに付いてきてとも、一緒に大学へ行こうとも、言わなくなった。そして彼は結局、神奈川県の私大に一人、旅立っていった。大学卒業後、地元に帰ったという情報だけは耳にしたが、それ以上の具体的な消息は知らない。自分にとって、最も魅力的に映る空へ羽搏いていっていればいいのだけれど。
 
 近年、自衛隊の人気は高まっているのだそうだ。女性自衛官も増えてきた。東日本大震災など、未曽有の災害の折に、自らの命を賭す覚悟で懸命に任務に当たる姿に感銘を受けた人は多いだろうし、各種式典で行われる儀仗隊の誉礼などは、見ているだけで鳥肌が立つ格好よさである。吃驚するのは、自衛官との合コンとか婚活パーティなんてものが開かれるという話で、100名にも及ぶ女性が集まるという。テレビドラマ『空飛ぶ広報室』の反響も人気に拍車を掛けているに相違なく、「兄ちゃん、ええ体してるなあ!」と声を掛けても大方逃げられていた時代を思えば、確実にイメージアップにつながっていると言えよう。ただ、それは、自衛隊のある一面がクローズアップされているに過ぎないのであろうし、実際には離職率の高さが物語っているように、美談だけでは語れない辛苦もあることだろう。それでも強い使命感を持って任務に当たる人たちによって、「我が国の平和と独立」が守られ、「国の安全」が保たれ、「直接侵略及び間接侵略に対し我が国」が防衛され、「公共の秩序」が維持されているのである。それを忘れて、ミーハーな気持ちで志すのは如何なものか、とは思う。
 
 さて、私は一昨日も京橋駅に降り立った。「ええとこだっせ」と言われるこの街では、相変わらず人々が足早に行き交い、その流れから横に逸れた人たちは、猥雑な匂いのする雑踏へと消えてゆく。その姿は実に刹那的で、我が国の行方なんてどこ吹く風、自分のことで精一杯ですよという感じである。精一杯なのはそこへ佇む私とて同様であるが、国防とまでは言わないにしても、「何事かを守る」とはどういうことなのか、どんな構えや覚悟が必要なのかと、喫煙所で煙草を燻らせながら、ぼんやりと考えるのであった。