虹のかなたに

たぶんぼやきがほとんどですm(__)m

第85回 君の名は

 今月末に、大阪港へ引っ越しをすることになった。子どものいない夫婦二人暮らしに2LDKのマンションは些か持て余し気味であり、1部屋は実質的に物置のようになっているから、それなら部屋を1つ減らし、物も減らして、身の丈に合った住まいにしようではないかと考えての決定である。共働きで休みも限られているから、準備はなかなかに大変であるが、とりあえず、私にとっては最も苦手な「断捨離」の実行中で、「1年以上見ていないものは処分」というルールを決め、休みの日ごとにゴミ袋10袋ほどずつ捨てている。
 
 ところで、方々から「どこに引っ越すん?」と当然訊かれるのであるが、「大阪港」と答えると、10人中9人に「?」という顔をされるのに少々困っている。格好良く「港区」と言おうかとも思うが、東京のそれ、すなわち赤坂だの六本木だのをイメージされても何だか嫌である。そこで、「天保山」と言い換えると、「ああ、海遊館のとこやね。毎日行けていいやん!」と納得されるのであるが、大阪港というのは地下鉄の駅名、しかもかつては終点でもあったというのに、そこまでマイナーな地名なのだろうかと合点がゆかない。それに大体、如何に至近とは言え、毎日海遊館に行ってどうするというのだ。あくせく働かねば家賃も払えぬわ。
 
 この20年くらいで一躍メジャー化した大阪の地名の代表格は、この「天保山」と、梅田の「茶屋町」であろう。いずれも駅名など人口に膾炙したものではなく、地元民でないとわからないような地名であったはずだが、前者はウォーターフロントの発展、後者は毎日放送の移転やロフトのオープンに始まる再開発で、一気に集客力が高まった。さすれば名前も売れるのだと、ただただ得心するばかりである。それを受けてか、地下鉄中央線の大阪港には「天保山」という副称がいつの間にか与えられ、車内放送でも「次は、大阪港、大阪港、天保山」と案内されている。因みに、近くを走る阪神高速湾岸線も、当初は「大阪港出入口」という名称だったが、後に「天保山出入口」に変更されている。「天保山」はすっかりブランドとなった。
 
 それにしても、正式名称が副称に負けてしまうというのは何だか物悲しいものがある。大阪市営地下鉄にはこの他にも、恵美須町には「日本橋筋」、動物園前には「新世界」、本町には「船場西」、堺筋本町には「船場東」の副称があり、いずれも駅名標に併記されているが、これって、どれくらいの効果があるのだろう。本町や堺筋本町の「船場西」「船場東」は、船場ブランド復活を願う市民の声を受けたものということだが、一般の人には、「船場」といえば「吉兆」が想起されて逆にマイナスではないかと余計な心配が浮かぶ。土曜日、学校から帰ってきたらまずは吉本新喜劇、という我々の世代には「太郎」なのだが、これは古いか。
 
 副称を巡る悶着として知られるのは、谷町線の「四天王寺前夕陽ヶ丘」である。もともと「夕陽ヶ丘」の駅名に決する予定だったのが、四天王寺の圧力で開業直前に「四天王寺前」に変更になった。しかし、これに納得のゆかない住民の声に推されて、(夕陽ヶ丘)と括弧つきの副称として表示され、最終的には括弧が外れてこういうとんでもない長い名前になった。かつて、ABCの『おはよう朝日です』に、「田中早苗の知れば知るほど地名図鑑」という名コーナーがあって、この夕陽丘が取り上げられたことがある。それによると、『新古今和歌集』の撰者としても知られる鎌倉時代初期の公卿、藤原家隆が、79歳の時に出家してこの地に庵をつくって隠棲し、翌年80才の春の彼岸に、上町台地の上にあるこの地から西に臨む「ちぬの海(今の大阪湾)」へ沈む夕陽を見て、「契りあればなにはの里に宿りきて波の入日を拝みつるかな」と謳ったのに因む地名だという。現代にあっては都心の高層建築物に遮られて叶わぬ眺望であるが、夕陽丘の地には今でも「家隆塚」があって、そんな由来に思いを馳せながら、ここから西の方を眺めれば、沈む入日の向こうの極楽浄土へ行かんと願った家隆の晩年が偲ばれるのだ。そんな美しい地名が、寺の真ん前でもないのに「四天王寺前」を強引に名乗らされるとは哀れと言う外ない。
 
 しかるに、昨今では駅名にまでネーミングライツが導入され、由緒正しき地名を貶めるような副称がそこかしこで跋扈している。「○○株式会社前」とか「□□高等学校前」とか「△△産婦人科前」など、バスの車内放送ではあるまいし、電車に乗る度に溜め息が漏らさずにはおれない。神戸市営地下鉄新長田駅の「鉄人28号前」に至っては、狂気の沙汰としか思えぬのは私だけであろうか。
 
 話は戻って、大阪港への転居はいよいよ10日後に迫ってきた。こんな駄文を書き散らしている暇があれば、とっとと荷造りに励めという家人からの叱責の声が聞こえてきそうであるが、会う人々から「?」と思われようと、「私の新しい住まいは、大阪港です」で通してやるという決意を胸に秘め、これから段ボールの組み立てを始めようと思う。