虹のかなたに

たぶんぼやきがほとんどですm(__)m

第65回 月曜日よりの使者

 「サザエさん症候群」ということばがある。日曜夕方の『サザエさん』を見終わると、休日の終わりを自覚し、翌日を思って憂鬱になることを言う。中には本当に倦怠感や体調不良を訴えて出勤できないケースもあり、もとより正式な病名ではないが、軽度の鬱病であるとも言われる。太古の昔からやっている日曜の夕方以降の番組には、『笑点』や『ちびまる子ちゃん』、NHK大河ドラマもあるが、どうした訳か、定着した呼び名は「サザエさん症候群」である。
 
 正月恒例の箱根駅伝でもこの「サザエさん症候群」の群発事例があったという。テレビ中継は日本テレビ系列で行われるが、2007年の第83回まではこのエンディングテーマに、トミー・ヤングの『I Must Go!』が使われていた。一度YouTubeででも検索してみていただきたいのだが、選手たちの姿がプレイバックされ、ゴールのテープを切る優勝選手の様子から東京の街並みの空撮へとオーバーラップする辺りになると、曲は最高潮に達し、あの哀しくも美しい歌声が高らかに響く。ここで、視聴者の万感は否応なく胸に迫るのである。そしてこれが終わると一転、正月休みの終焉を実感して一気に鬱になることから、いつしかネット上で“鬱曲”と呼ばれるようになった。“鬱曲”にも関わらず反響は大きかったようで、これが久石譲によるオリジナルのブラスバンド曲に取って代わった2009年(第85回)には日本テレビに抗議の声が殺到したというし、それから4年が経つ今でも同様の声は根強く上がっているらしい。かく申す私もそれを支持する一人であるが、『I Must Go!』は疾うの昔に廃盤となった幻の曲であり、旧に復するつもりはさらさらないようである。こうした数多くの声は、落ち着いて考えれば、「サザエさん症候群」に陥れないのでどうにかしてくれと言っているのと同義であり、自ら鬱を求めるというのもおかしな話ではあるが、黄金週間にしても夏休みにしても、長期休暇の終わりは、「サザエさん症候群」を爆発させるのである。
 
 そんな「サザエさん症候群」であるが、学校が嫌いではなかった私は、そのような病理に苛まれたことなどないし、逆に、腐っていた大学時代は「サザエさん症候群」を通り越して大学へ行くこと自体を放棄したものだからシンドロームなど関係がない。社会人になってもそれは変わらず、これは、私が日曜公休でないことも関係しているのかもしれないが、月曜を思って鬱になるどころか、一刻も早く日曜が終わり、月曜の朝を迎えたいという衝動にすら駆られるのである。これはどうしたことだろうか。
 
 「三度の飯より会社が好き」であればよいのだが、残念ながらそれほど毎日毎日仕事への闘志が燃え盛っている訳でもなく、月曜もいつもどおりに淡々と出勤するのである。それでも、8時前に目を覚まし、テレビをつけて朝ドラが始まると、何だかほっとするのである。9時過ぎに家を出て、満員の千里中央発をやり過ごし、新大阪始発の電車を待って地下鉄のシートに座ると、心が休まるのである。会社に着いて、「おはようございまぁす」と言って自分の席に着くと、思わず笑みが零れるのである。
 
 蓋し、これは「日曜日」という日の特殊性に原因があるようだ。
 
 まず、車内に平日の朝に必ず漂う殺気がない。物憂さや気怠さがあるばかりである。遊びに行く若者や家族たちの破顔一笑がそこら中にあるのだが、あの締まりのなさが却ってよくないのだ。そして、日曜のオフィスは人も少なく、現業や取引先からの電話もほとんど掛かってこない。仕事はこの上なく捗るので非常によいのだが、それはそれで、どうも張り合いがない。平日ほど遅くまで残業をすることもなく、遅くとも20時過ぎには会社を出るのだが、1日平均20万人以上の乗降客数を誇る商都大阪の中心、本町駅のホームは、この時間、人っ子一人として存在せず、この寂寞感たらありゃあしないのである。そして帰宅する。録画していた大河ドラマを見終われば、既に視聴すべき番組もない。SNSを開いても、平日ならまだまだわんさか人の書き込みがある時間帯だが、明日を思って鬱になる人々はとっとと床に就いているものだから、相手をしてくれる人もいない。前夜が徹夜とか、その日が壮絶な激務とかで目が開けていられない状況にでもない限り、私の就寝時刻は午前2時と決まっているから、それまでの間、取り立ててしなければならないこともなく、またこういうときに限って読書欲も沸かないので、狂おしいまでに手持ち無沙汰なのである。
 
 つまり、「日曜日は、静かで、退屈で、淋しい」のだ。
 
 これが月曜だとどうだろう。8時は連続テレビ小説あまちゃん』の弾けるようなオープニングテーマが頭を覚醒させてくれる。満員電車には無数の企業戦士たちが乗り込み、出陣前の静かな闘志が車内に満ちている。会社に行けば100人以上の社員が出勤してきて、挨拶が交わされる。1日デスクにいれば、いろんな人から声を掛けられ、電話も掛かってくる。お客様が来られて交流を深める日もある。何となれば週の初めの月曜日に飲み会が企画されることもある。翌日が仕事だって気にしない気にしない。皆、翌朝になればちゃんと目を覚まし、遅刻することなくまた出勤できる。人がいるのだ。人が動いているのだ。人との関わりがあるのだ。
 
 そんなことを省みるに、「人間」とは何と的確なことばであろうかと認識を深めるのである。すなわち、「人間」は「人の間」と書くのであって、「人間」は「人の間」にあってこそ、「人間」でいられるのだ。「人の間」にいたいという希求が、私の「早く月曜の朝を迎えたい」という衝動を駆り立てるのである。
 
 週末、AKB48選抜総選挙なるものがあった。「まさかの1位」だった指原莉乃は、HKT48への移籍後の1年間を回顧して「孤独な時間」と表現したが、別段熱狂的なファンではない私でさえ、さもありなんと思うのである。「サザエさん症候群」に罹る人たちは、多分に人との関わりを恐れ、拒んでいるのだろうが、何と勿体ないことだろう。「人間」の字義通りの在り方にもっと思いを致し、学校でも職場でも、「あなたに会えて、よかった」と思える月曜日を、皆で作ることのできる日本でありたいと思うのである。