虹のかなたに

たぶんぼやきがほとんどですm(__)m

第32回 平和への希求

 先日、26年前まで暮らしていた岡山市の郊外にある西大寺という街を訪れ、最後の1年間だけ通った中学校の同窓会に参加した。きっかけは、第28回でも記した、当時の同級生との運命的な(?)再会であった。

 とは申せ、たった1年間しか通っていなかったのだから参加しても浮いてしまわないだろうかという憂慮があったのも事実である。が、結果としては全くの杞憂。覚えてくれている人も多くて、当時と見た目はいろいろな点が変わっている(縦にも横にもボディが拡大した、髪の毛が伸びた=当時の男子は坊主頭必須、眼鏡を掛けた、そもそも視力が落ちたので目つきが悪い、等々)にも関わらず、一瞥しただけで私と判ってくれた人がいたのには感激した。参加者の全員が記憶にある人という訳ではなかったのだが、面識のない人とも、共通の話題で盛り上がれて、時空の隔たりなど無関係に、楽しい時間を過ごすことができた。

 不思議と言えば不思議なものであるが、こうして互いに変な気を遣うことも、自らを飾ることもなく、ゆるい空気に身を委ねることのできる心地よさ。ああ、コミュニケーションとは本来かくあるべきであるなあと思ったものであり、例えば若い頃に合コンなどというものに気合を入れて参加していたのは一体何だったのかと、今更ながらに阿呆らしくなる。

 そして、こうしたことをつらつら惟るに、人と人が分かり合えないというのは何とも不幸なことだと、思いを馳せてしまうのである。

 折も折、日中・日韓関係が俄かに緊迫してきている。にも関わらず我が家の家人などは、「韓国に行ってエステしたい」などと実に悠長なことを抜かしているような始末であるが、もともと海外旅行になど興味が皆無であることを差し引いても、今の今、彼の地に渡航する勇気なんて、私にはないのである。

 如何にも不勉強なもので、迂闊なことを申し上げてお叱りを受けるのが怖くて躊躇されるが、どっちが正義でどっちが不正義なのか、私には分からない。が、両国のそもそもの禍根は戦争にあったはずである。戦争の禍根を雪ぐのであれば、何故に再び「争う」という手段を選ぶのか、それがどうしても理解できない。話し合いで解決できるのならとっくにやってるわと言われそうだし、じゃあどんな方法を以てすれば平和的解決に至るのかと問われても、情けないが答えを持ち合わせていない。ただ、争うことによって傷つく人がいることだけは事実である。傷つき、悲しむ人を生んでさえも、国益を守るとの大義名分の下に戦争を行うことが、果たして許されるのであろうか。

 たまたまこの夏、九州を訪れ、あちこちを巡ったのであるが、長崎の平和公園にも、中学校の修学旅行以来、24年ぶりに行ってみた。そこに、「あの日のある少女の手記から」と記された石碑があった。そこには、「のどが乾いてたまりませんでした 水にはあぶらのようなものが一面に浮いていました どうしても水が欲しくて とうとうあぶらの浮いたまま飲みました」と、こう綴られているのである。国同士の利害など知ったことではない無辜の人が、かかる痛切な叫びを上げているのに向き合ってもなお、争うことは避けられないのであろうか。

 「れっきとした我が国の領土」を固守しようとすることに何ら異論はない。それによって領空や領海が狭まり、産業に影響を及ぼすことくらい、義務教育で学んだから知っている。それはそれで、守るべきものを守らなくては苦しむ人がいるということだ。だが、この間の諸々の報道だの評論だのを見ていても、そういうことへの言及が一切ないではないか。「弱腰外交」と叩かれるのも分からなくはないが、それが論点の中心だと言うのであれば、国家の対面だけで領土を守っているのだ、ということになる。それはあまりにあまりな話であろう。

 私は「被爆3世」である。広島にいた母方の祖父(故人)が被爆している。幸い、祖父、母、私とも、直ちに生命の危機に瀕するような事態に陥っている訳ではないのだが、母は膠原病という難病を患っており、自分が一度思ったことは他人が意見しようとも決して聞き入れようとしない頑固者の祖父は、自分の被爆にその原因があると思い込み、死ぬまで心を痛めていたという。実際の因果関係は今も分からないのだけれども、墓場までその辛苦を持っていった祖父を思うと、その意味において、これは我が家に残る「戦争の傷跡」と言えなくもないかもしれない。

 争うことで人が傷つき、苦しみ、悲しむのは、何も国家間の武力を交えた「戦争」だけではない。民事、刑事を問わず、裁判だってそうだし、個人レベルの喧嘩だってそうである。身近にも多くの争いや対立がある。自らの守るべき正当な利益や権利を主張することが悪い訳ではないし、道義的に許せないということだってあるだろう。しかし、怒りや憎しみだけで人を動かすことはできないのもまた、真理ではないだろうか。「勉強しないと親に叱られるから」「あいつに負けたくないから」と言う動機で勉強する子が伸び続けられる訳がないのと、また、「ノルマを達成しないと上司に恫喝されるから」と言って働く社員が安定した業績を挙げることができないのと、本質的には同じである。「学びたい」「世のため人のために貢献したい」と思えばこそ、人は頑張ることができるのである。そこに、争いや諍いの介入する余地などあるまい。

 そうしたこと、つまり争うことが如何に愚かであるかを心から語れるのは、やはり「戦争を知る世代」なのであろう。それがどんどん少なくなっている今、この先、平和を追求し続けることができるのだろうかという不安は確かにあるのだが、冒頭に記したように、団塊ジュニアの世代の我々だって、争いのない、対等な関係がどれだけ楽しくて心地よくて幸せであるかを知っているのである。我々があの世に行く頃には、「戦争を知る世代」はいよいよ皆無になっているのだろうが、それでも今を生きる人々が考え、行動できることはあるに違いないと思う。