虹のかなたに

たぶんぼやきがほとんどですm(__)m

第33回 デパートははるかかなたへ

 先日、梅田の阪神百貨店前を歩いていたときのことである。「阪神百貨店と言えば婦人服とデパ地下」と言われるだけのことはあって、地下の食料品売り場は、外の地下街にまで行列が延びるほどの人気店も多い。その行列の中に、1組のカップルがいた。列に並ぶことの何が楽しいのか分からないが、大層なテンションで2人はじゃれ合っていた。その横を私が通り過ぎようとしたそのとき、彼氏の方が急に後退してきた。そして、勿論故意ではないが私の足を踏んだ。私は素足にサンダル履きであったので、踏まれた際の激痛は尋常ではなく、恐らく盤若の如き形相でその彼氏を睨んだと思われる。それが余程恐ろしかったのか、彼氏は、やってはいけない相手に危害を加えてしまったとでも言わんばかりの恐怖に満ちた表情で、こちらに平謝りしてきた。私は見た目に反して、こういうことで人様にヤカラを言うような人間ではないので、「いえいえ、大丈夫ですよ」と言ったのだが、地獄に蜘蛛の糸を垂らすお釈迦様でも見るような安らかな眼差しを、その彼は向けてくるのであった。
 
 そこまで私の人相は悪いですかねえ、という趣旨でこの話をある方にしたところ、「私らが子どもの頃は、デパートに行くというのはそらもう大変なことで、よそいきの格好をさせられたものです。それやのに素足にサンダルって……」と言われて、そこですかツッコミのポイントは、と思いつつも、そう言われれば確かにそうやったよなあと、しみじみ昔を回顧してしまったのである。
 
 私が生まれ育った大阪府枚方市には、当時、枚方三越と、丸物(まるぶつ)百貨店(後の枚方近鉄百貨店)の2つのデパートがあった。地元密着のデパートではあったが、それでもそうそう日常的な買い物で行くようなところではなく、「大層なお出かけ」であったことは間違いない。もっと気合いを入れる場合は、心斎橋の大丸やそごう、あるいは四条河原町の髙島屋などまで遠征するが、こうなると殆ど海外旅行レベルの様相である。いずれも親の買い物に連れて行かれることが主ではあるけれども、近所の商店街やスーパーでは見ることのない高価で煌びやかな商品が並ぶデパートは、子どもの目にもそれは魅力的に映ったものである。中でもおもちゃ売り場は、幼い頃には、「ダダをこねる」という必殺技を以て、親の財布を強引に開けさせるという恐喝行為に及べる定番スポットであり、少し長じれば、お年玉という名の軍資金を握り締め、意中の商品に手を掛け、恐る恐るレジに持って行って、普段なら触ることさえ許されない大枚を店員に手渡す、そんな「大人の買い物」を体験できる貴重なステージであった。
 
 昔のデパートには必ずあったものとして想起されるのが2つある。1つは上層階にある「ファミリー大食堂」。もう1つは「屋上遊園地」である。母親が買い物をしている間、父親が屋上へ子どもを連れてゆき、小さな観覧車やゴーカートといった乗り物で楽しみ、その後一家揃って大食堂で食事をする、というのが、当時のデパートでの過ごし方のセオリーであった。
 
 大食堂は、今のような専門店が並ぶレストラン街ではなく、1つの広い店舗であらゆるメニューを網羅していた、文字通りの「大食堂」であった。ワンフロア全部が食堂であるから、窓からの眺望も良く、例えば枚方三越の大食堂からは、当時まだ地平を走っていた京阪電車の駅と線路が見下ろせ、そこを颯爽と駆け抜ける赤いボディの特急(当時は京橋から七条までノンストップ)は子どもの心を鷲掴みにした。レジで食券を買い求めるというのも、大食堂ならではのスタイルで、それを手にして、子どもにとっての大人気商品「お子さまランチ」を待つときの高揚感は、アラフォーの今でも思い出せるほどである。
 
 そのお子さまランチ。大人になってしまった今となっては二度と口にすることのできない夢のキッズプレート。チキンライスの頂に聳え立つ日章旗は、その象徴であったと言えよう。紙で日の丸を作り、爪楊枝に巻き付けて、自宅で食すただの白御飯に挿して、「お子さまランチを食べている妄想」にも浸ったものだった。然るに、聞けば昨今のお子さまランチにはポケモンなどのキャラクターの旗が立つそうであるが、言語道断、以ての外である。そして食後のデザートなど、今で言えば新地の高級クラブで酒を飲むようなものであるが、それもまた、デパートでの食事ならではの贅沢であった。自分の記憶にはないのだが、生まれて初めてフルーツパフェなるものを食したとき、メロンを口にして発した一言は、「このキュウリ、めっちゃおいしい!」だったそうである。周囲の客は大爆笑だったそうであるが、母は舌を噛み切ってその場で果てたかったらしい。
 
 そんな思い出のいっぱい詰まった枚方三越は2005年に閉店、跡地にはよりにもよって地元の大手進学塾が入った。そして今年(2012年)の2月には、近鉄百貨店も、丸物時代から36年続いた歴史に幕を閉じた。36年だから私の人生とほぼ同じ、この間ずっと枚方にいた訳ではないが、気持ちとしては自分の人生と共に歩んだと勝手に思っている、愛着のあるデパートであった。京阪電車で、枚方近鉄閉店の吊り広告を見たときは、人目も憚らず号泣するところであった。
 
 大阪府内だけでも、心斎橋そごう、北浜三越天満橋松坂屋と、次々と名門百貨店の灯が消えている。地下鉄の「次は、心斎橋、心斎橋、大丸・そごう前です」の車内放送を聞かなくなって久しいが、今なお、あれを言わないアナウンスはどうも間が抜けているように思えてならない。また、閉店の瞬間がよくニュースで取り上げられ、店長以下、従業員・スタッフが、シャッターが下りるまで深々と頭を下げたまま動かず、客からは「ありがとう!」の歓声と割れんばかりの拍手が鳴り響くという、お決まりと言えばお決まりの図が流れるのではあるが、どうしたものか、何度見ても泣けて泣けて仕方がない。
 
 方や、梅田界隈では、三越伊勢丹を核とする「大阪ステーションシティ」が賑わいを見せ、大阪駅を挟んで南側の大丸もリニューアルして活況を呈している。梅田阪急も今秋には建て替えが完了し、次は阪神百貨店の改装に着手するという。難波の髙島屋も綺麗になった。阿倍野近鉄も、地上60階建て、300mの高さを誇る「あべのハルカス」として建設中である。そうした新しい百貨店は、仕事帰りにただ通り過ぎるだけでも楽しいものではあるが、しかし、かつてのように、年に数回、よそいきの格好をして、家庭の一大イベントよろしく、心して訪れるというような特別感は、どこにもない。扱う商品が低廉になった訳でもなく、店構えは往時よりむしろ洗練されているというのに、これはどうしたことであろうか。
 
 誰にでも開かれ、「素足にサンダル」でも何ら違和感のない、大衆的な当世の百貨店であるが、自らの幼き日の記憶に残る「デパート」は、忘却の彼方へと消え行くばかりである。