虹のかなたに

たぶんぼやきがほとんどですm(__)m

第26回 星に願いを

 今宵は七夕である。しかし、空を見上げても、厚い雲が垂れ込めるばかりである。
 
 独身時代に住んでいた天満のマンションの前には大川(旧淀川)が流れ、そこに架かる源八橋という橋を渡ると、「桜ノ宮」という、大阪随一の、大人の男女の社交場がある。例年、天神祭、クリスマスイブ、年越しの3回は、どちらの施設も全室満室で、普段なら煌々と輝いているはずのネオンが悉く消え、一転、ゴーストタウンと化す。現業時代はよりにもよって、ここを通り抜けねば帰宅することができず、仕事に疲れた体を鞭打ち、男女の目眩く営みを余所に、一人、漆黒の闇を自転車で駆け抜けていた。
 
 そうした「桜ノ宮三大イベント」も、落ち着いて考えれば、どれを取っても男女の愛欲とは全く無関係なことばかりが由来である。クリスマスイブなんて人様の生まれた日の前日というだけだし、天神祭に至ってはあろうことか人様の月命日だ。そんな日に、船渡御と称して派手に花火を打ち上げ、それが終われば今度は男女が愛欲の海に溺れて再びバンバン花火をぶっ放す。菅原道真公がこれをご覧になったら、一体どう思われるのであろうか。
 
 その点、七夕は、男女が互いの愛を確かめ合うというロマンスデーなのであり、この日こそ桜ノ宮は大いに盛り上がればよいのではないかと思うのだが、どういう訳か、ひっそりと通常営業である。やれと言われれば無欲となり、やるなと言われれば欲望の歯止めが利かなくなる。人間とは何と勝手な生き物であろうか。
 
 ところで、私が生まれた枚方市には、その名も「天の川(天野川)」という川が流れており、枚方市駅の近くにはご丁寧にも「かささぎ橋」なる橋まで架かっている徹底ぶりである。ただし、この橋を行き交うのは、赤い糸で結ばれた恋人同士ではなく、排ガスを撒き散らす車ばかりである。
 
 この川に並行して走る京阪交野線。朝のラッシュ時には通勤快急「おりひめ号」、帰宅ラッシュ時には快速急行「ひこぼし号」が走るのだが、年に一度の逢瀬を重ねるのだからこそ、牽牛織女伝説はロマンチックになるというのに、大量の通勤客を詰め込んで毎日ガシガシ走られたのでは興醒めではないのだろうか。いや、朝の「おりひめ号」と夜の「ひこぼし号」が途中ですれ違うことは決してないのだから、よくできた話と思わねばなるまい。
 
 こんなことを徒然に考えながら、ロマンチックな話というのは所詮、虚構の世界の絵空事やねんなあと、げんなりした気持ちになってしまうのである。
 
 昔、ある文具メーカーの広告に、「十歳にして、愛を知った」というコピーが載っていた。「愛」という漢字は小学4年生、すなわち「十歳」で学習するのだからというレトリックで、コピーの勉強をしていた当時、これは秀作と感心したものではあるが、翻って自身の若き日々を顧みるに、どうだっただろうか。
 
 幼稚園の年長に上がるとき、生まれ育った枚方を離れ、岡山市の郊外にある町に引っ越した。土地勘のない母親が、通わせるべき幼稚園を間違えたため、初めはなかなか友達ができなかった。そんな中、同じクラスに、優しく声を掛けてくれる女の子がいた。いずみちゃんという、医者の娘である。最早どんな顔だったか思い出すことはできないが、それでも清楚で可憐な女の子だったという印象だけは残っている。
 
 ある日、如何なるシチュエーションだったかは覚えていないが、突然、いずみちゃんがおんぶをしてくれて、大層萌えたことがある。恐らく、これが自分の初恋だったのだと思う。その後、幼稚園にもたくさん友達ができたが、小学校は指定の校区に従うため、せっかくできた友達とも、たった1年での別れとなった。これには深い悲しみを覚えた。その後風の便りで、いずみちゃんはどこか遠くへ引っ越していったと聞いた。
 
 6年後、通う中学校が同じになるため、多くの懐かしい人たちとの再会となった。その中に、ヤンキーに片足を突っ込んでいるような1人の女子がいた。何が気に障るのかわからないが、最初、私はこの女子に大層嫌われ、幾多の因縁をつけられた。それが、どういう心境の変化があったのかは知らないが、彼女は10月くらいに、急に話しかけてくれるようになった。名前は呼び捨てにされるし、力関係は明らかに向こうの方が上だったが、それでも、彼女と喋るのは楽しかった。
 
 2月、急に我が家の引っ越しが決まった。時はバブル景気前夜、市の中心部にマンションを購入、親たちだけで秘密裡に話を進めていた。子どもたちは猛然と反対したが、購入は完了しており後の祭り。家庭内で荒れに荒れる私に手を焼いた母親は、担任教諭に説得を要請したのだが、そのやり口に私はますます激昂し、ついに家を飛び出した。が、勇んで歩みを始めて僅か3分後、仕事帰りの父親の車と遭遇し、人生初の家出はあえなく幕引きとなった。
 
 終業式の日、クラスの皆から寄せ書きをもった。真ん中には「友愛」と書かれていた。幼稚園以来6年ぶりに再会した友達と、またしてもたった1年での別れとなった。最後に挨拶を求められたが、上手く言葉が出てこなかった。そして学校を出ようという段になって、例の女子が追い掛けてきて、「バイバイ」とだけ言って、去っていった。そのとき初めて、自分はこの子に恋をしていたのだと気付いた。しかし、思いを伝えることはできなかった。
 
 3月の末、いよいよ引っ越しの日がやってきた。出発する直前まで、部屋に籠もって号泣していた。6年後の、再びの深い悲しみであった。
 
 いずれも、ほろ苦い、遠い日の線香花火である。
 
 我が家には、笹の葉も短冊もない。だから、ここに願い事を記そうと思う。「皆から、厭われませんように」「多くの人に、愛されますように」。