虹のかなたに

たぶんぼやきがほとんどですm(__)m

第21回 タメ口考現学

 一時流行った「おばかキャラ」は、そう呼ばれていた人たちが歳を取って落ち着いてきた所為か、はたまたこれらの人たちを世に売り出した大物芸能人が引退してしまったからか、少々形(なり)を潜めてきたように感じる。
 
 代わって台頭してきているのが「タメ口キャラ」ではないかと思う。その筆頭は何と言ってもモデルのローラであろう。名門番組『徹子の部屋』に出演した折も彼女の舌鋒は些かも揺るがず、流石の黒柳徹子も苦笑を浮かべるのみであったという。最近、普通の文章をこのローラの口振り風に変換する「ローラ語変換」というサイトの存在を知った。世の中にはいろんなことを考え付く人がいるものである。試みに、日本国憲法の前文を変換してみた。結果はかくの如しである。
 
 「日本国民は~、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し~、われらとわれらの子孫のために~、諸国民との協和による成果と~、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し~、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し~、ここに主権が国民に存することを宣言し~、この憲法を確定するウフフ☆オッケー♪ そもそも国政は~、国民の厳粛な信託によるものであって~、その権威は国民に由来し~、その権力は国民の代表者がこれを行使し~、その福利は国民がこれを享受するウフフ☆オッケー♪ これは人類普遍の原理であり~、この憲法は~、かかる原理に基くものであるウフフ☆オッケー♪ われらは~、これに反する一切の憲法~、法令及び詔勅を排除するウフフ☆オッケー♪(……中略……)日本国民は~、国家の名誉にかけ~、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふウフフ☆オッケー♪」
 
 何のことはない、読点の前に「~」、句点の前に「ウフフ☆オッケー♪」が入るだけではないか。苟も「語」を名乗るのなら、きちんと文法を体系化し、アルゴリズムを実装しなければなるまい。
 
 それはさておき、このローラのタメ口振りが何故かくも人気を博するのであろうか。某ボクシング選手の三兄弟とその父親の例を挙げるまでもなく、公の場でのタメ口とはそれだけでアウトローとして指弾の対象となるのが常であった。敬語で物言えぬ無礼者は、取りも直さず社会性欠損の烙印を押されるのである。
 
 私も学生時代にこんな経験がある。当時、大阪市内の大型書店にはどこにでも、英会話学校のセールスを行う女性が常駐していた。エスカレーター前などで待ち伏せし、「英会話学校のご案内でーす」と、通り過ぎようとする客にパンフレットを差し出す。それを受け取ろうとするとパンフレットを離さないで客ごと引っ張り、身柄を拘束してそこから延々と執拗な営業活動を行う、悪徳商法の部類に入ると言って差し支えのない、極めて阿漕な営みであった。
 
 そして客を捕まえるや一転、タメ口に変わり、「なあ、夏休みとか、海外に行きたいとか思わへんの?」などとトークを始めるのである。こちとら敢えて敬語で、「いえ、全く思いません」と返す。以下、「じゃあ、どこに行くのん?」「友達と舞鶴とか小浜とかの方面へキャンプに行く予定です」「マイヅル? どこなんそれ?」「日本海側ですよ」「あぁ、伊勢とかあるとこやんね?」「いや、それは南北が全く逆ですよ」「えー、そんなマイナーなとこ行って何が楽しいん? それよりやっぱ海外やって。それにはまず英語が喋られへんとアカンから、ウチの学校に来てもらって……」「あのね、舞鶴とか伊勢とかをマイナー呼ばわりして、関西人として恥ずかしくないんですか。海外云々言う前に、まずは我が国のことを、せめて義務教育程度にはきちんと勉強されたらどうですか。それに、もう少し正しい日本語をマスターしてから英会話のセールスしたらどうですか」とまあ、こんな応酬を繰り広げたのである。このお姉ちゃんの苦虫を潰したような顔と言ったらなかった。
 
 ところで、一つ気になっていることがある。それは、ニュース番組などで、外国人へのインタビューを流す際、表示される和訳の字幕は決まってタメ口である、ということだ。前述のお姉ちゃんは英会話学校の営業だからわざわざタメ口だった訳ではよもやあるまいが、これは一体何としたことであろう。勿論、喋っている外国人がぞんざいな物言いをしている訳ではなく、あくまで訳者の判断でそのような表記がなされているだけのことである。
 
 敬語というのは日本語独特のものであって、そもそも外国語には敬語という概念自体が存在しないのだから仕方のないことだという意見もあるかもしれない。しかし、それは果たして正しいことであろうか。確かに、尊敬語・謙譲語・丁寧語などという複雑かつ厳格な敬語の文法体系を有するのは我が国特有のものなのかもしれないが、例えば英語の「Please」や、「Can you ~?」「May I ~?」などは一種の敬語と言えるものではなかろうか。某社会主義国家の元首が身罷られた折に、国民が「将軍様が死んじゃったよ~ウフフ☆オッケー♪」などと口走るなんてことはゆめゆめあるまい。
 
 つまり、どの国にも、大なり小なりの敬意というものは存在して然るべきなのに、それを翻訳する日本人が勝手にタメ口に変換しているのである。これは考えようによっては外国人蔑視と言えなくもないと思うのだが、厳然とした敬語の存在するこの日本の上下関係というものに対するアンチテーゼであるとは考え過ぎであろうか。気兼ねのない、自由闊達な喋りができたらいいのにという願望くらいはあるのかもしれない。
 
 そう言えば、日本には「慇懃無礼」ということばが昔からあるくらいで、過ぎたる敬語の使用は忌み嫌われる傾向がどこかにあった。「無礼講」という、本来敬意を持って接すべき人へ無礼を働くことが許される場面もある。かつて、「……でございます」が主流であった関西の私鉄や地下鉄の駅や車内の放送は、いつしかどこでも「……です」に改まっている。これらはもしかすると、相手との心理的距離を縮めようとする「敬語からの解放」を望む潜在的な民意の表れなのかもしれない。
 
 そのように考えると、ローラのタメ口が絶大な支持を得られるのも得心がゆく。そもそも敬語にしてもタメ口にしても、ポライトネス(円滑な人間関係を確立・維持するための言語行動)を実現するための手段なのであり、そこにおいては「敬語を使うのが一番無難で楽」という場合もあろうし、「タメ口で話し合える信頼関係」ということもあろう。健全な人間関係の中で、適宜相応しいことばを使うようにしたいものである。
 
 尤も、ローラの場合はキャラそのもので救われている部分が多分にあるのであって、社会人が会社で同じように「ローラ語」で上司に物を言って明日があるかどうかは、無論別の話である。