虹のかなたに

たぶんぼやきがほとんどですm(__)m

第17回 おもひでぼろぼろ

 もう20年くらい前の作品で恐縮であるが、原田宗典のエッセイ集に『十七歳だった!』というのがある。氏のエッセイは軽妙な独特の筆致が好きで一時はよく読んでいたものであり、私が自身の駄文において「……なのだった」という文末表現を好んで用いるのは恐らく氏の影響である。
 
 この『十七歳だった!』は、氏が岡山で暮らしていた高校時代の思い出を面白おかしく綴った、抱腹絶倒の作品である。久しぶりに再読してみたが、全く色褪せることなくその滋味を堪能できた。私も岡山に住んでいたことがあるので、一致する記憶の中の情景が多々あって、余計楽しめたのかもしれない。
 
 本をよく読む割にはレビューを書くのが大層苦手で、苦悶しつつ認(したた)めたグダグダの紹介文をお見せするより、文庫版の内容説明を引用した方が断然適切な紹介になろうと思うので、勝手に借用させていただくと、「17歳。楽しくてムチャムチャ充実している一方で不満だらけ。自意識過剰で、恥しく(原文のママ)って、キュートな愛すべき時代。身悶えしながら書いた恋文で呼び出し川原での早朝デート。不良志願の第一歩、隠れ煙草。下半身の“暴れん坊将軍”に苦しめられ、深夜の自動販売機で決行するエッチ本購入作戦。カッチョ悪い小豆島家出事件の顛末。思い出すたび胸の奥が甘く疼く、ハラダ君の愉快でウツクシイ高校青春記」と、不惑を目前に控えた今でも、何かもう、胸がきゅーんとなるような、青春の甘酸っぱさやらほろ苦さやらが蘇ってくる作品なのである。
 
 ここに描かれている高校とは、岡山県立岡山操山高等学校のことで、「岡山五校」と呼ばれる進学校の一角を占める名門である。私の出身は、この岡山操山と双璧とされ、「岡山五校」の筆頭とされる、岡山県立岡山朝日高等学校である。東大・京大にそれぞれ現浪合わせて20名前後が合格するのだから、地方の公立高校としてはレベルの高い部類に入るだろう。『サンデー毎日』などを見ていても評価が高いようである。卒業生として、誠に誇らしきことである。
 
 と自慢気に述べてみたが、かかる栄光は遠い昔及び近年の話であって、肝心の私の卒業年度は、歴史上最も多い508名を擁する学年でありながら、東大3名・京大8名と、卒業生数が6割くらいに減っている近年の実績の半分以下である。ちょっと前までの子たちがゆとりゆとりと虐げられていたのを思うに、第二次ベビーブームの頂点たる我々の方が余程ゆとりだったのではないかと甚だ心苦しく思う。その原因というか背景として、「総合選抜制度」というのが上げられる。先述した「岡山五校」の5つの高校が一括募集を行い、成績で振り分けが行われて学力や男女比が平準化されることで、各校間の格差を解消するというもので、かつては割と全国各地で見られた制度である。
 
 私如きがかくも輝かしき名門伝統進学校に入学できたのも偏にこの制度のおかげであるが、歴代OBにとっては途轍もなく忌まわしい制度であったらしく、1999年にこの制度が廃止され、単独選抜に変わったとき、同窓会の副理事長がHPで、「総合選抜制度の呪縛から解き放たれ、文字通りに『昇る朝日』の再来云々」と挨拶を述べているのを見たときには、自身がこの学校の卒業生であることを心底申し訳なく思った。獅子身中の虫扱いされた卒業生の一人としては、各界でご活躍の先輩お歴々の面目をお保ち申し上げるためにも、今後終生、同窓会への出席は謹んでご辞退申し上げる所存である。
 
 などと悪態を突いてみたが、私もその時期にたまたま岡山に住んでいただけのことで、流浪の民に郷土愛や愛校心などは無縁のことである。そして申すまでもなく、私は底辺を這いずり回っていた落第生であった。そうではあったけれども、青春時代を振り返って、いつがいちばん楽しかったかと言えば、迷う方なく「高校時代」と答えると思う。
 
 『十七歳だった!』で綴られるようなネタまみれの3年間ではなかったけれども、平民以下ならではの鬱屈故か、文化祭や運動会の後は打ち上げに興じ、修学旅行の就寝後は目くるめく男女の逢瀬が重ねられ、学校の裏山で煙草を蒸したり街中に繰り出してカラオケに行ったりと、それなりのやんちゃもやった。好きな子に振られた男女が夜な夜な飲み歩いて傷を舐め合い、そして深夜の公園でしんみりと語り合い、気が付けば深夜2時で、高校生の分際でタクシーで帰宅、こっちは、親は我関せずとばかりに熟睡中なるも、女子の方は、両親が玄関で正座して待ち構えていて直ちに修羅場を迎えたという“事件”もあった。なお、この男女がくっ付けばよかったのではないかというご意見があるやもしれないが、そう上手くいかぬのは何かの因果であろう。
 
 そんな高校時代ではあったが、皆きちんと進学し、一応全うな社会人をやっているのであろうから、時効ということでご容赦願いたい。それに、壮年となった今回顧すれば、その一々が何とも小っ恥ずかしい思い出ばかりであるが、『十七歳だった!』の一節から引用させてもらうならば、「青春とは大きな誤解だッ!」なのであって、当時はそれが高校生の矜持くらいに思ってやっていたやんちゃなのであるから、それはそれで充実した高校生活であったと言うべきであろう。未熟なくせに粋がっているだけの時代ではあるが、しかしそれだけに、「青い春」とはよく言ったものだと思う。