虹のかなたに

たぶんぼやきがほとんどですm(__)m

第15回 僕らは夢見ているか

 些か比喩的ではあるが、私の生業は「夢を売る商売」である。実に尊い仕事に従事していると思う。しかし、逆説を弄する訳ではないがこれまで、人に「夢を持とう」などと言ったことはただの一度もない。特に相手が若い人である場合、それが、その人の将来の可能性を狭めてしまうのではないかと危惧されてしまうからだ。
 
 私は「将来の夢」がころころ変わる子どもだったが、中学生の頃に、割と具体的に「国語の教師になりたい」と志すようになった。下らない動機で誠に恐縮であるが、なりたいと思ったのはひとえに「卒業式で泣きたい」という一点にあって、国語はたまたまそれしかできなかったというだけで理由としては二の次である。そう言えば、中学時代の担任は、高校のときの誤審事件の禍根から、「野球の審判と監督が両方できる職業は中学教師しかない」ということで先生になったと宣っていた。教科はやはり国語である。高校生のときは、教職に就くのは中学と高校のどちらがよいのか、そして進路は文学部と教育学部のどちらを選ぶのが正しいのか、結構本気で悩んだ。当時は国公立大にまだ「連続方式」というのが残っている時代で、A日程は大阪市立大の文学部、B日程は大阪教育大の教育学部を、どちらも第1志望のつもりで受験するという、最後まで煮え切らない選択をした。結局どちらも落ちたのだが。
 
 進学した大学が嫌だった訳ではなかったし、何が原因かも最早記憶にはないが、学生生活は段々腐っていった。飲酒やら麻雀やらで夜な夜な覚醒しているものだから、とにかく朝が起きられない。携帯電話もない時代、後輩の女の子が駅の公衆電話からわざわざモーニングコールをしてくれて何とか起床し家を出ても、駅前のパチンコ屋が目に入ると気が付けばそこに並んでいるというような始末だった。
 
 専門科目はそれでもきちんと、そして(自分で言うのも何であるが)概ね良い成績で単位を修得したが、語学を筆頭に1年次配当の科目が4年次になってもまだ大量に残っているという状況で、留年を重ね、恥を忍んで恩師に教育実習辞退の申し入れを行い、最終的には、大学を辞めるという道を選んだ。書き掛けで絶筆した卒論の担当教授が「もったいないなぁ」と言ってくださったのがせめてもの救いであり、またこの上ない面恥でもあった。
 
 その選択は、「教師になりたい」という夢を自らの手で断ち切ることを意味した。もとより自己責任なので悔いる資格もなかったが、しかし、暫くは、前途を見出せぬ大きな虚無感に苛まれた。
 
 幸い、当時のアルバイト先に正社員として拾ってもらえることになり、それからもう12年が経つ。大学中退という中途半端な学歴の私をこうして管理職にまで登用していただけたことには心から恩義を感じるところであるのだが、しかし自分の道が「これしかない」と思うと、人生としてどうなのかなと思うことは今でもしばしばある。これといって資格や能力を有する訳でもなく、この歳で新たな一歩と言っても厳しい現実が待っているのみであろうが、自分の将来を「教師」ということでしか考えていなかったという人生の歩みには、ちょっと残念なことをしたよなという後悔はある。その気になりさえすれば、もっと他にもいろんな可能性があったのではなかったかと。
 
 そんなこともあって、人様に「夢を持て」などと大逸れたことはどうしても言えないのである。決して、夢を持つことを否定しているのではない。自分の進路を限定的に考えてしまうのではなく、可能性をいろいろと模索して、広げていくことが大切だと思うのだ。長い人生には様々な岐路がある。自分の人生だから相当真剣に考え抜き、慎重に進む道を選択すべきではあろうし、引き返すような真似もしたくはないが、選んだ道のその先にもまた岐路はあるはずで、その時々で魅力的に映る道へ力強く歩みを進めていけばよいと思いませんか。きっとその先に開ける世界はあるはずだ。そしてそれこそが、本当に掴むべき「夢」であるに違いない。
 
 そんなふうに考えれば、「第二の人生」「第三の人生」のスタートを切ることは、限りなく輝かしく、胸の躍る話である。「第十の人生」「第百の人生」まで行ってしまって、いつまでモラトリアムやってんねんと叱られるようでは勿論いけないけれど。
 
 時は春、新年度。出会いもあるが別れの時でもある。今年もいろんな人との別れがあった。旅立つ者より残される者の方がよほど淋しく、辛いと、残される側の者は勝手に思う。死に遅れたような気持ちにさえなる。
 
 でも、その人たちは、自分にとって最も魅力的に見える空に向かって、強く羽搏いていく、この上なく希望に満ちた旅立ちなのだ。だからそれを、精一杯の笑顔とエールで送り出してあげることが、残された者の正しくあるべき姿だと思うのだ。
 
 そして、いつまでも感傷に浸って人の旅立ちを見送っているばかりではない。いつか自分も、新しい空を見つけ、それへ向かって羽搏いてゆきたい。大空へ雄飛せんとするには少しく力不足の齢になってはしまったが、それでも、夢を見たいし、未来を信じてみたいのだ。