虹のかなたに

たぶんぼやきがほとんどですm(__)m

第12回 義務と幸福

 最近流れているサントリープレミアムモルツのCMが、実に良い。木村拓哉香取慎吾が、木下惠介監督の映画やドラマの名作シーンにタイムトリップして、激動の時代の中で日本の経済発展と共に歩んできたビールの歴史を重ね合わせて振り返る内容である。田中絹代、山内明、東野英心笠智衆山岡久乃などなど、もうこの世にいない往年の名優たちの姿が、ビートルズの名曲と相俟って、涙腺を決壊させる。
 
 その中で、香取慎吾がこんな台詞を語る。「いつしか、ビールは仕事のストレスを流すものになってしまった。仕事のあとの一杯は美味い。でもそれは本当のビールの居場所ではないと思う」と。「東北熊襲発言」で物議を醸したり、「東海表記問題」で売国奴のように叩かれたりするこの会社ではあるが、しかし広告は企業の良心、これはこれで胸に沁みるメッセージである。
 
 さて、人はなぜ、そして何のために働くのであろうか。
 
 それを考えるとき、こんな一編の詩を思い出す。
  

  宝石    伊川明子
 
 明日がうれしいのです。
 日曜日が来るのですもの
 
 わたしはもう還暦を過ぎました それでも
 日曜日が嬉しいのです
 沢山の日曜日を失ったからなのです
 
 「エコノミックアニマル」
 そんな言葉がありましたね
 あの人はその言葉の優等生
 早朝に家を出て
 日付変更線を超えて帰宅
 わたしはうさぎの耳になって
 近づいてくる車の音をさがしましたよ
 
 定年になって
 「アニマル」の皮をぬいだあなた
 やっと夫婦の会話ができますね
 沢山の日曜日をありがとう
 
 わたしはいま
 宝石のような日曜日を
 ひとつ ひとつ たいせつに
 ひろっています

  
 この詩を読んで思い起こすのは、自分の幼い頃のことである。
 
 当時、会社も学校もまだ「週休1日」の時代であった。建築士である父は、毎日朝早く家を出て、会社と建築現場を駆け回り、夜遅く帰ってくる。ややこしい現場であった場合、「夜中2時になっても帰ってこなければ警察に電話するように」と母に言い残して家を出ていったそうである。そんなストレスもあったのか、帰宅後には泥酔するまで酒を煽った上に、文字通りに寝た子を起こし、折角の休みである日曜は日曜で、日の出前から家を出て、終日趣味の釣りに没頭し、やはり帰宅は日没後に及ぶ。そんな感じだから、一家揃って夕食をとった記憶が殆どないし、休みに家族でどこかへ出掛けたこともあまりない。それでも子どもたちは父を疎ましく思ったことはなく、私はアパートの駐車場に帰ってきた父の車の音を違えることなく判別し、玄関のドアが開けば妹は父に飛びついた。
 
 20数年前、部長に昇進した父は、なぜかその昇進を機に、「人に仕えたり、人を使うことが性分に合わない」と、長らく勤めた会社を退職し、1人で小さな建築事務所を開いた。私が高校生のときのことだ。たった1人の自営業だから、会社勤めのときより忙しさは増したはずであるが、どういう訳か、家にいる時間はサラリーマン時代より多くなった。父なりに何か思うところがあったのだろう。
 
 大学進学時に実家を出るとき、1人暮らしの物件探しに付いてきてくれた。時はバブル景気の余韻がまだ残る頃。紫のダブルスーツに身を包んだヤクザ紛いの不動産屋を相手に名刺を差し出し、「私はこういう仕事をしてますから、素人やと思ってええ加減なこと言うてもろたら困りますよ」と凄んだ姿には驚いた。「仕事人」としての父をまともに見たのは初めてだったからである。物件が決まり、いざ帰りなんというとき、「ちょっと一杯飲もうや」と言い出し、天神橋筋商店街の小さな寿司屋で、生まれて初めて父と酒を酌み交わした。父は息子と一献交わすのが夢だったのだと言う。
 
 それから15年余の歳月が経ち、自身も家庭を持つようになって、夫婦ともに働き蜂の我が家は、休みはおろか夕食のタイミングが合うことも殆どなく、せいぜい、2人ともが残業で帰宅のタイミングが一致したときに一緒に居酒屋に立ち寄る程度である。
 
 そんな人生を送ってきたが、それ自体を不幸せと思ったことはない。父とて同じであろう。
 
 労働は国民の義務であるから、人間は誰しも一定の年齢になれば働くことを強いられる。しかし強いられる営みほど虚しいものはあるまい。数年前、会社で2つの部署を兼務していたとき、一方の部署の仕事を「やり甲斐でやっている」、もう一方の部署の仕事を「使命感でやっている」と区別したことがある。「使命感」の方に苦しさや辛さがあったのは確かだし、それが原因で酒量の増加につながったのも事実だが、どちらも自分にとっての「働く意味」であり、少なくとも「食うために働く」というような虚無的なものではなかった。
 
 では先程の命題、すなわち「なぜ働くか」と言えば、働く自分を支えていたものが「必要とされる実感」であり、「必要としてくれる人」がいるから、ということ以外に答が見出せない。
 
 いつしか還暦を過ぎた父が営む建築屋は、細々とではあるが何とか今も続いている。会社勤め時代に築いた人脈に、今なお支えられているからなのだそうだ。それを継ぐこともなく、全く畑違いの仕事に従事する愚息は誠に不肖ではあるが、仕事に対する姿勢だけは受け継いでいるつもりである。仕事は、支え支えられ、必要とし必要とされ、感謝し感謝され、そんなふうにして、人の幸せに寄与するものでなくてはなるまい。
 
 そして、大切な人たちとビールでも飲みながら、ささやかな幸せを感じることができれば、それはそれでよいのではないかと思うのだ。