虹のかなたに

たぶんぼやきがほとんどですm(__)m

第8回 君の名は

 私は大阪の生まれであるが、実家は岡山市にある。父親の仕事の都合で引っ越しただけの話で、そもそも実家と言ってもマンションであり、土着民ではない。
 
 それでも、その岡山市が来年、政令指定都市に「昇格」するというのは、ちょっと気になる話である。単なる地方都市であった岡山が、大都会と肩を並べる(ような気になる)訳だ。ネット上でしばしば展開される、広島市民との「目糞が鼻糞を笑う」泥仕合にも、一つの節目を迎えることだろう。
 
 ところが、である。政令市になるにあたって決めねばならないのは「区名」であるが、これが全くいただけないのだ。
 
 例えば、我が実家は、都心部から、旭川という一級河川を挟んで東側にあり、街の趣きは既に郊外であるのに、「中区」なのである。そして、肝心の都心部も、合併により編入された旧御津郡域も、一括りに「北区」なのである。
 
 聞けば、区割りの時点で既に悶着があったらしく、当初の案どおりだと、都心まで1キロ程度の地区に住む住民が、更に東へ離れること10キロの西大寺地区まで行かねば区役所にありつけないという不条理に苛まれることになり、結局分区することで落ち着いたらしい。
 
 しかし、分区したらしたで、どちらも市域の東寄りなのに、都心に近い方が「中区」、旧西大寺市の地域が「東区」なのだ。警察も消防も郵便も全て「東」なのに、区だけは「中」である。
 
 公募により区名は決せられたらしいが、その際、2つの条件があったという。1つは「既にある地名を用いてはならない」。もう1つは「『中央』など、特定域のステイタスが高まるような名称は不可」。揉めないようにということだろうが、こんな条件が突き付けられれば、おかしな瑞祥地名にするか(案の定、応募“作品”には、「さくら」だの「桃太郎」だのがあったらしい)、芸のない東西南北にするか、どちらかしかないではないか。
 
 西大寺など、旧瀬戸町域を含むとは言え、「西大寺」以外に的確な表現はあるまいと思うし、一定の定着を見ている「岡南」や「城東」の名だってあるではないか。大体、「中」と「中央」の違いは何だと言うのか。
 
 区名などより行政の中身こそが重要なことは百も承知である。それに私は最早岡山市民ではない。ただ、人名が立派な人格であるとするならば、地名とて街の品格であり個性であろう。つくばみらいだの南セントレアだのに比べれば格段にマシだが、そこにアイデンティティがあってもいいのではないだろうか。それが住む人たちの拠り所であるはずなのだから。