虹のかなたに

たぶんぼやきがほとんどですm(__)m

第104回 入院回顧録(二)

 さて、入院は1か月近くにも及んだので、勤務先には大層な迷惑を掛けた。人生で初めての転職をし、昨年7月から今の会社でお世話になっている。11月からは店舗のマネジャーを任され、新店の立ち上げをしたところだった。そして評価をいただき、2月に契約社員から正社員に切り替えていただくことになった、その矢先で開けた大きな穴だったので、ただただ申し訳ない気持ちに苛まれ続けた入院生活だった。
 
 しかし、入院翌日には、事業部長と人事部長がお見舞いに来てくださり、「向こう1ヶ月は他店舗のメンバーで応援する布陣を組んだので、何ら心配することなく、療養に専念してください」と言ってくださった。次の日には、応援に入ってくださる社員でグループLINEが作られ、店舗の状況を日々報告くださった。その次の週には御年82歳になられる相談役がお越しになり、ご自身の心筋梗塞の経験を語りながら、「退院しても、ちょっとくらい無理が利くようになってから出勤しておいでや」と仰ってくださった。更に翌週には常務が臨店先からわざわざ回り道をして立ち寄ってくださり、社長は個人の携帯から励ましのメールをくださった。
 
 まだまだ新参者で、どこの馬の骨とも分からない身でありながら、上司や同僚のみならず、経営幹部の方々まで気を遣ってくださり、この会社に転職して、本当によかったと思っている。でも、この転職はすんなりと決まった訳ではなかった。
 
 前職では、新卒入社以来20年近く勤続してきたが、会社の業容拡大が進む中で、事業部門ごとのセクショナリズムが進行し、後発だった所属部門のガラパゴス化と、それによる閉塞感を、年々強く覚えるようになってきていた。また、以前に、人材開発部門での仕事を5年に亙って担当しており、各事業部門を横断して社員の成長を支援することにやり甲斐を感じていて、これをライフワークにしたいという強い思いがあったので、その方面での仕事にもう一度従事したいと考えるようになった。業務量が年中オーバーフロー気味で、残業や休日出勤も常態化しており、ライフワークバランスを転換したいという考えもあった。
 
 ただ、前職への義理や恩義は強く感じていたし、新たなフィールドで自分を試してみたいという気持ちもあったから、直接競合する同業他社は選択肢から外し、新卒の大量採用企画や、全社トータルの人材育成システムの開発などの実績、事業部門でのマネジメント経験を携えて、一般企業の人事職を中心にエントリーを重ねた。しかし、実際に選考に進んでも、実務経験から離れて7年になるブランクや、労務や人事制度企画などの経験がないことがマイナス評価となり、不首尾の結果が続いた。
 
 そもそも、退職前の転職活動が、業務の都合上どうしてもできず、離職後のスタートとなった。エージェントによっては、そのこと自体が失敗だと厳しい見解を述べる方もおられた。「立つ鳥跡を濁さず」ではありたかったので、その点での後悔はなかったものの、転職に対する自身の考えの甘さを痛感し、それまでに培ってきたものが世間では通用しないのだと打ち拉がれた。ただ、毎日家に居る亭主を見ながら出勤する嫁に無用な心配を掛けたくなかったので、「離職期間は3か月以内」という目標を定め、努めてポジティブに振る舞った。転職活動をしながら、“主夫”として、掃除、洗濯、炊事などの家事をこなした。
 
 登録していた転職サイトを通して、エージェント数社から期待の持てるコンタクトを受けたが、面談に赴くと一転、「前職を辞めた理由がどうも腹落ちできない」「年収200万円ダウンは当然」とまで言われて、心が折れそうになったこともあった。しかし、その度に、気持ちを立て直し、経歴の棚卸しと職務経歴書の推敲を重ね、自身のスキルや実績を的確に訴求することに腐心した。いろんな方から「変なこだわりは捨てて、もっとダイレクトに経験が活かせる仕事を選ぶべき」とのアドバイスもいただき、活動の方向性を見直し始めていたところに、あるヘッドハンティング会社からスカウトメールを頂戴した。コンサルタントと面会し、これまでの経歴、転職の理由、真にやりたい仕事などをとても親身に聞いてくださり、それに合う2社をご紹介いただいた。
 
 早速、社長や役員の方との面談を複数回周旋いただき、その度に同行もしてくださった。結果、2社とも管理職のポスト、待遇も前職同等の条件で内定をいただくことができた。どちらにするかは迷ったが、「ダイレクトに経験が活かせる仕事を」とのアドバイスを踏まえ、前職と同じ業種に従事することにした。ただ、進取の精神に富む企業で、今回お話をいただいたのもこの業界に新規参入として立ち上げたばかりの部門だったので、完全な同業他社へ移るような後ろめたさは感じなかったし、即戦力として貢献したいと素直に思った。何より、面談でお会いした経営幹部の方々――入院中にお見舞いに来てくださったり、メールをくださったりした方々――のお人柄や先見性に惹かれ、出来上がったところに収まるのではなく、ゼロからの構築に携われる期待感、事業の将来性、一部上場企業グループとしての安定性など、総合的に判断し、ご縁をいただくことにした。それが、今の勤務先である。
 
 面談の際に「現場主義」ということについて話をしたのを覚えてくださっていた常務が、入社手続日の前に「店舗の見学にご案内しますよ」と連絡をくださった。当日、アテンドいただくエリアマネジャーが、「早くお会いしたいと楽しみにしていました」と仰ってくださった。立ち上げに携わった店舗の開店の日には、事業部のメンバーから「オープンおめでとうございます」と電話やメールをたくさんもらった。入院中、そんなことを思い返しながら、留守にしている職場に思いをずっと馳せていた。すると、「じっとしていたらいろんなことを考えてしまうでしょうが、店舗のことは任せてもらって、しっかり養生してください」と、こちらの性分を見透かしたLINEをもらったりもした。そして退院し、復帰した日にイントラの掲示板を開くと、「退院おめでとうございます」「お帰りなさい」「待ってましたよ」の文字が並んでいた。感涙に咽んでしまった。
 
 「ミドルの転職」の厳しさを思い知った転職活動だったが、入院を機に改めて、転職とは正に「ご縁」であり、仕事とは自分の存在価値を確認できる素晴らしいものだと、しみじみと実感した。そして、自分を必要として待ってくれている職場の存在のありがたみを、心の底から感じた。年相応に自分の身体を気遣いながら、会社の方々の期待や思いに応えられる働きをしっかりしていきたいと、静かに決意している。