虹のかなたに

たぶんぼやきがほとんどですm(__)m

第55回 コンビニララバイ

 「夜は眠るものである」と誰かが言ったのであるが、近年では、都市部はおろか、郊外や人気の少ない田舎でさえ、ロードサイドには様々な24時間営業の店舗が煌々と灯りを点しており、「眠らない人」の需要を満たしている。その嚆矢と言えるのが、おそらくコンビニエンスストアであろう。
 
 私の住んでいた街に初めてコンビニができたのは確か中学1年のとき。岡山市西大寺という街に、ローソンがオープンして、部活の帰りによく寄っていたものである。それからの人生を顧みるに、私の人生はコンビニとともにあったと申しても過言ではなく、コンビニがなければ生きていけないと強迫観念的にさえ思うのである。例えば、仕事の関係で、南海電車泉大津駅前のホテルに宿泊したことがあるのだが、急行も止まるこの駅前にコンビニが一軒もないのには仰天した。スーパーもあるが、こちらは最終電車であるから既に閉店後。こんなところで食料調達に困難を極めるとは夢にも思わず、あのときは正に生死の境を彷徨ったものである。
 
 それほどまでに深いコンビニとの蜜月関係にも、結婚すれば終止符が打たれるだろうと思っていたが、全くそんなことはなく、飲み物だのタバコだのと、結局帰宅時にはほぼ必ず立ち寄るし、会社の昼休みも、毎日外に食べに出ることが許される財政状況でもないから、専らコンビニのお世話になっている。そして、それほどまでに不即不離の関係であるコンビニなればこそ、どうしてもアラも目に付いてしまうのである。私もサービス業の端くれとして、自身の体験から、「接客業の心得5訓」を自説として述べてみたい。
 
 今でも十分に貧しいが、一人暮らしを始めた当時は本当に貧しくて、自宅から通学していた大学の同級生から、「オカンがMくん(私の名)に持って行ったげって」と言って、救援物資として米の施しを受けていたほどである。これでは早晩、孤独死すると思って、アルバイト探しを始めた。当時はネットなんてものは当然普及していなかったから、バイト探しの手段は専ら、コンビニで売っている情報誌である。近所のコンビニでそれを買おうとしたら、店長の妻と思われる、宮崎駿作品に出てくる魔女もしくは鬼婆の如き様相の店員が、「兄ちゃん、バイト探してるんやったら、ウチで働き! ほら、これの○ページにウチの求人載ってるやろ? こんなん買わんでええから、今すぐ履歴書持っといで!」と物凄い剣幕で迫ってくるのである。「頼むから売ってくれ」と懇願してその場を逃れたのであるが、あの形相は今思い出しても身震いするほどである。第1訓は、「客に凄むな」。
 
 その後、塾講師のバイトを始めたのだが、業態の性質上、必然的に帰りが遅くなる。いつしか自炊をしなくなって、駅前のコンビニに日参するようになった。毎晩遅くに帰宅するものであるから、ある日、店長と思しき人が、「毎日遅いですねぇ。何の仕事してはるんですか?」と訊いてきた。「塾の講師ですが」と答えると、「こんな遅い時間まで子どもが勉強してるなんて、世の中何かが間違ってますよ!」と激昂し始めた。何故コンビニ店員風情に自らの仕事を批判されなければならないのだと思い、「そんな間違った仕事に従事してる私も人間として間違ってるんでしょうね。二度と来ませんから」と応じた。店長は我に返って周章狼狽するのであるが、男に二言はなく、以降は他のコンビニを利用することにした。後にこのコンビニは潰れている。第2訓は、「客を説教するな」。
 
 勤務先が入居しているビルの1階に某コンビニがあり、わざわざ他に行くのも面倒なのでよく利用するのだが、ここの店員の過半数が、とにかく無愛想なのである。たばこを所望しても「はい」とも言わないし、弁当を持って行っても「温めますか」がないので「これ温めてもらえますか?」と言ったら、これまた返事がないどころか“なんでやねん”みたいな顔をするし、節分に恵方巻を買ったときに「お箸要りますか」と訊いてくる(そもそも普通は「ご入り用ですか」と言うものではないのだろうか)ので、丸かぶりに決まっているから「結構です」と答えたら、どうした訳か失笑してくるし、もう、酷いなんてものではないのである。何より、商品でも釣銭でもレシートでも、片手で渡してくるのがいただけない。それは店長らしき男まで同様であるから、店員の質は推して知るべしというものである。第3訓は、「客には両手で物を渡せ」。
 
 そうかと思えば、結婚前に住んでいたところの近くのコンビニでは、釣り銭とレシートをちゃんと両手で渡してくれるのはいいのだが、それが行き過ぎて、こちらの手をぎゅっと握り締めてくる、ゴリラみたいな顔の男がいた。しかもゴリラは、こちらを見つめながら、その顔で満面の笑みを浮かべてくるのである。人の好みはそれぞれであるから他人様にとやかく言うつもりは毛頭ないが、私はいわゆる「薔薇」が大嫌いなのである。という訳で第4訓は、「客に色目を使うな」。
 
 コンビニではないが、「スマイル」を0円で販売している某ファーストフード店では、エコという大義名分の下に、持ち帰り用の手提げ袋を省略するということをやっている。その考えに別段異論はないのだが、こちらは既に大量の荷物を持っているときもある。それでも、複数の紙袋をそのまま渡そうとされることがあり、ハンバーガー20個を注文した客に「店内でお召し上がりですか?」と訊くという有名な“愚問”と同様、マニュアルを遵守するあまりに全く機転の利かぬことだと憤懣を覚えるのであるが、コンビニでも似たようなことがある。温かいものと冷たいもの、あるいは食品と日用品を分けて袋詰めするのは基本なのであろうが、しかし、他の荷物で両手が塞がっているときに、3つも4つも袋を分けられたのでは、こちらは一体どうやってそれを持てばよいのだろうか。汁物が入った袋を渡された日には、帰宅までに中身がこぼれて袋の中が洪水になるのは必定である。その点、一流と呼ばれる店では、他の荷物を見て、「袋をお纏めいたしましょうか」と訊いてくるものであり、それくらいの視点はコンビニでも持ったらどうかと思うのである。最も大事だと思う第5訓は、「客商売たるもの、状況感受性を磨け」。
 
 客の側である私が「客は神様だ」と尊大なことばを振り翳すつもりはないが、しかし自身の生活は詰まるところ客によって支えられているのだから、商売する側は「客は神様だ」との意識を持つべきだと思うのである。私は、現業を離れて今は販管部門に籍を置いているが、今でも現業の人たちの向こうに存在する顧客の顔を思い浮かべながら仕事をしているし、それはまた、現業出身者の矜持でもあるのだ。アベノミクスの推進で物価が上昇し、消費が冷え込むと見る向きもあるようだが(そんな単純な理屈でもないのだろうが)、そうであるならば、サービス業に従事する者は、その原点に思いを致して、自らの手で消費者の購買意欲を高めねばなるまい。特にコンビニなんて都市部では飽和状態で、栄枯盛衰も激しいのだろうから、もう少し危機感を持って商売してもらいたいものである。こっちは、あなたがいなければ生きてゆけないのだから。